"墓前の少女は「娘は生きてる」と言った" 第1話
「おばあちゃん、その、きてるよ」
墓を拭いていた私のが止まった。9の午、寺の裏にある墓には彼岸が咲き始め、松の枝を抜けたが乾いた葉を段のへ転がしていた。振り返ると、7歳くらいの女の子がい野のを握り、私の娘の名が刻まれた墓をまっすぐ指さしていた。
私は68歳になる。7に娘を失い、その3に夫も見送ってから、古い軒で暮らしを続けてきた。仕て直しや裾げの仕事を所から受け、どうにか暮らしをてながら、毎朝仏壇にを供え、娘の写真へ「今も始まるよ」と声をかけるのが習慣になっていた。
娘の咲が姿を消したのは、7のだった。記録な豪で川が氾濫した夜、咲の定期入れや携帯話、鞄の部が原くののから見つかり、消防も警察も何も流まで捜してくれた。それでも咲だけは、とうとう戻ってこなかった。
遺された物の状況から、増した川へ流された能性がいと聞かされた。私はい、遺骨さえない娘のために墓を建てることが正しいのか迷っていたが、夫が「帰る所だけでも作ってやろう」と言ったことで、先祖代々の墓に咲の名を刻んだ。夫がくなった今、そので眠っているのは夫だけで、咲は名だけがそこにいた。
豪の半ほど、咲から度だけ話があった。
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「お母さん、子どもができたの」
受話器の向こうで聞こえた娘の声は、嬉しいというより、何かを確かめるように慎だった。「落ち着いたら、ちゃんと顔を見せにくから」と言ったのが最で、それから咲とゆっくり話す会はなかった。あの豪は娘だけでなく、お腹にいた子まで連れていったのだと、私は7そうってきた。
咲の夫だった根岸修司は、命のになると毎うちへ線をあげに来た。40代になった今も再婚せず、「お義母さん、お変わりありませんか」と穏やかな声で私を気遣う修司は、所では「くなった奥さんを今も忘れられない」と言われている。私もい、そういう婿を持てたことをありがたいとっていた。
ただ、奇妙なことがつだけあった。
修司は7、度も墓へ来なかった。
命には必ずうちへ来て仏壇にをわせるのに、「緒に墓へきませんか」と誘うと、仕事や体調を理由に断った。その代わり、咲の荷物がまだ残っているか、昔の友から連絡がないか、見覚えのない郵便が届いていないか、誰かがを訪ねてこなかったかと、毎決まったように細かく尋ねてきた。
私はそれを、咲を諦めきれない夫の未練だとっていた。娘の指輪や通帳、このに残した荷物のことまで確認するのも、忘れられないからなのだろうと自分に言い聞かせた。
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のしみ方にはそれぞれ形があるのだから、墓へかないというだけで疑ってはいけないとっていたのである。
けれど今は、修司が来るにで墓へくことにした。なぜか分からないが、彼を見送った直ので咲の墓を拭きたくないという気持ちが、々くなっていたからだった。から雑巾と桶を持ちし、でい菊を買って、いつもよりく寺への坂をった。
墓へ着くと、てにはすでにい野のが数本差してあった。毎、命のになると同じが供えられていることには気づいていたが、職か所の誰かの遣いだとってく考えたことはなかった。私は古いを抜かず、その横へ持ってきた菊を挿した。
墓をで洗い、夫の名を拭いたあと、隣に刻まれた咲の名へを伸ばした。
そのだった。
「おばあちゃん、その、きてるよ」
最初は、子どもの悪ふざけだとった。けれど振り向いてみると、女の子は笑っておらず、に焼けた頬に汗を浮かべながら、ひどく議そうな顔で私を見ていた。洗いざらしのシャツに膝丈のズボンを穿き、元にはしきめのサンダルを引っかけている。
「お嬢ちゃん、こののこと?」
私が咲の名を指すと、女はきく頷いた。
「うん。その。うちにいるよ。
今、ご飯作ってる」
背にたいものがった。私は墓でする子どものいたずら、よく似た別との取り違え、寄りを騙すために子どもを使うまで、ので必に能性を並べた。