"退職したら、双子を任された" 第6話
方言のい齢者の希望を聞き取れず、同じ本を度届けたこともある。
若い職員の千尋は、私をベテランとして特別扱いしなかった。
「都会のやり方をそのまま持ってくると、利用者が疲れます。ここではが分話して帰ることも、図館の役目です」
私は腹がったが、正しかった。効率を優先し、貸冊数で成果を測ってきた自分の癖を見直した。
夜、隆から話が来た。
「蔵庫にべる物がない。噌汁は何分煮ればいい」
私は作り方を度だけ説し、毎晩の料理相談には応じないと伝えた。夫は「向こうのには親切なのに」とった。
「仕事では、決められたと役割で伝っている。あなたの活を全部引き受ける契約はない」
隆は話を切った。翌週には所の料理教へ申し込み、同代の男性と包丁の使い方から習い始めた。
智也夫婦からも、慣らし保育がまないという連絡が来た。葵が毎朝泣き、耶は会社へ遅れそうになった。
私は慰めたが、帰って預かるとは言わなかった。園の先と相談し、慣らし期を週延ばした。智也も午休を回取った。
誰かが私の代わりになったのではない。父親、母親、保育士が、それぞれの範囲をしずつかしたのだ。
青葉町で最初に任された企画は、廃になった分を回る「本の交換箱」
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だった。私は図館代の経験から、対象齢別に本を分類し、貸表をつける案をした。ところがか、箱の本はほとんどかなかった。
千尋と集会所へくと、利用者のである歳の正が言った。「借りたら期限までに返さなきゃならん。町へけない週もあるから触らない」。私が便利だとった仕組みは、返却できないを増やしていた。
千尋は最初から分かっていたような顔をしなかった。緒に利用者の話を聞き、貸期限を次の巡回までに変えた。表も名ではなく冊数だけをく方式にした。翌、本は半分以入れ替わった。
私はの経験を失ったのではない。経験を正解の形で持ち込む癖を放す必があった。歳でも、らないではだった。
あるの、移図館を側溝へ寄せすぎ、輪をかせなくした。携帯話の波もく、私は傘を差してキロ先の農まで助けを求めに歩いた。町のが軽トラックで引きげてくれたが、巡回は遅れた。
私は報告へ自分の判断ミスをいた。館は叱責せず、次から狭いは千尋が運転すると決めた。悔しかったが、できないことを隠せば、次に事故になる。族には頼られる側でいるため失敗を見せなかった私が、職では助けを求める練習をした。
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その晩、耶から葵がをしたと連絡が来た。私は反射に航空券を検索した。翌朝の便なら昼過ぎに着く。しかし度帰れば、がるたびに同じ期待がまれる。
私は検索画面を閉じ、「今夜、話を聞くことならできる」と返信した。耶は既読をつけただけだった。、《智也が休みました。はがりました》と届いた。
と寂しさが同に来た。必とされないことを望んだはずなのに、族が私なしで回ると胸が空く。自分の境界を守れば、いつもれやかな気持ちになるわけではなかった。
私はその夜、子どもたちに送る絵本を冊選んだ。保育の代わりではない、祖母としてしたいことだった。
末、耶から写真が届いた。双子が保育園の砂で笑っている。い文章には、《ようやくとも昼寝までできました》とあった。
その数、別のメッセージが来た。《お義母さんが予定を変えたために増えた費用です》。添付された表には、保育料、延保育、布団用品、病児保育登録料、計万千円が並んでいた。
私はすぐ返事をせず、話で話すを決めた。
「私が払う理由を説して」
「お義母さんが見てくれる提で計を組んでいました。へくのはから決めたことでしょう」
「採用面接は半、契約はか。あなたたちが保育園へ辞退の話をしたのは退職祝いの。
私に確認しなかった」
耶は、隆から解を得ていると聞いたと答えた。