みかん小説
本棚

"毎月100円を振り込む名医の20年" 第5話

何かが、始まっている。 、あのボロい軽トラの座席の隙に眠っていた「百円」の怪物が、今、音をてて目を覚まそうとしていた。

ツツツ、という通話切断の子音がの奥にこびりついてれなかった。

液晶画面が暗転し、夜のが急激に濃さを増す。 スマートフォンのたいガラスを握りしめたまま、私はけずにいた。

崎仁がここに来る。 綾乃の携帯を使って、父親にらせるなと告げて。

(なぜだ……?)

、ファミレスであれほど執拗に「活圏にづくな」と言い放った男が、なぜわずか数に、自らこの埃っぽい町のを運ぶのか。

造平を見げる。 すりガラスの引き戸の向こう、畳半の居にだけ、黄暗い蛍灯のが灯っていた。 テレビの音は聞こえない。 ただ、換気扇の羽が擦れう、頼りないカラカラという音だけが漏れしている。

父は、あのにいる。 胸ポケットにあの通帳をねじ込んだまま。

私は音を忍ばせ、玄関の戸にをかけた。 内鍵がかかっていた。 指先をサッシの隙にかけ、微かに力を込める。 ガタ、と建具の歪んだ音がさく響いた瞬、居の障子の向こうでの気配がいた。

「……拓か」

く嗄れた声だった。

「鍵、けてくれ。財布をに忘れた」

嘘をついた。 喉の奥が引きつるように乾いていた。

広告

数秒の沈黙の、カチャリと真鍮の古い鍵が回る音がした。 戸が細くき、父の顔が覗く。 逆に浮かぶ父の目は、普段の温な父親のそれではなく、獲物を警戒する老いた獣のように据わっていた。

「財布なら、の朝でええやろ。……今夜はもう、部からるな」

「父さん、さっきの通帳のことだけど――」

「言うたはずや」

父は私の言葉をい声で遮った。 そのには、使い古された油性の黒マジックと、茶いクラフトのガムテープが握られていた。

「もう終わった話や。あの通帳は、さっきハサミで切り刻んでゴミと緒に縛った。、燃えるゴミにす。……それで終わりや」

平然と言い放つ父の瞳の奥に、わずかな揺らぎも見当たらない。 、毎送られてきた記録を、自らゴミ袋に捨てただと?

「嘘だろ。なんで捨てるんだよ。あれ、崎からのだろ? も、毎に百円ずつ……」

「拓

父が歩、に踏みした。 裸の裏が、たいタタキのコンクリートを踏みしめる。

「おは、から普通にコンビニで働け。綾乃さんのことは諦めろ。世のにはな、触れたら骨まで溶けるようながあるんや。……そこにを踏み入れたら、もう度と元には戻れん。わし分や」

ガラガラ、と引き戸が乱暴に閉ざされた。 再び、内側から鍵が回る。

閉ざされた製建具の向こうで、父の音が奥の部へとざかっていく。

広告

私は引き戸のち尽くした。

臓の鼓が、元で鐘のように乱打していた。 父は怯えているのではない。 何かを、必に覆い隠そうとしている。 に起きた「何か」を。

そのだった。

の入りの方から、微かな、しかし極めて質なエンジン音が滑り込んできた。 町の狭いアスファルトには釣りいな、く湿った音。 ヘッドライトのが、両側のブロック塀を舐めるように照らしし、夜のを切り裂いた。

黒塗りの型セダン。 メルセデス・ベンツの最型だった。

は、父のボロい軽トラの真ろ、わずかセンチほどの隙を空けて静かにした。 アイドリングの振すらじさせない静寂。 運転席のドアがき、革靴がアスファルトを踏む乾いた音が響いた。

りてきたのは、崎仁だった。

の濃紺のサマーウールスーツのままだったが、ネクタイはわずかに緩められ、トレードマークのえられた髪が、夜で乱れていた。 その窩は異様なほどく窪み、昼徹なエリート医師の仮面のから、剥きしの神経症な焦燥が滲みていた。

「……拓君」

仁は周囲の民を用く見回しながら、づいてきた。 と、病院の消毒液が混ざりった特の匂いがをつく。

に入ろう。……ち話をする所ではない」

「父はもう寝ました。用があるなら、僕が聞きます」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: