"日本一情の深い父の裏の顔" 第5話
俺は度息を呑み、通話ボタンをスライドさせた。
「……もしもし」
『ああ、拓か』
スピーカーから聞こえてきたのは、先ほど別れたと寸分違わない、く落ち着いた父の声だった。
背景から、静かなクラシック音楽が流れているのが聞こえる。 どこかのホテルのラウンジか、支援団体の事務所だろう。
『の調子はどうだ。ちゃんといたか』
「……うん。る分には、問題ないよ」
俺は必に声を平坦に保とうとした。 だが、に当てたスマートフォンの属フレームが、や汗で滑りそうになる。
『そうか。古いだからな。回りから異音がするようなら、無理に乗るな』
「……今、の先輩のところで、を掃除してるんだ。シートをして、フロアを拭きしようとって」
あえて、にしてみた。
ほんのわずかな、反応を試すためのカケラ。
受話器の向こうの空気が、ふっと凍りついたのが分かった。
クラシック音楽の優雅な旋律だけが流れ、父の呼吸音が完全に消えた。
秒。 秒。
その沈黙は、まるで何にもじられた。
『……シートをしたのか』
父の声の温度が、数度がっていた。
テレビカメラので見せる、あの温な『闘う父親』の仮面が、ミリ単位で剥がれ落ちていく気配がした。
「うん。ゴミが溜まってたから。……列目のシートも、今、ろしたところ」
『余計なことをするなと言ったはずだ』
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く、押し殺したような声だった。
『あのは、支援者の方々にとっても象徴なものなんだ。勝に弄り回して、壊しでもしたらどうする』
「壊してないよ。ただ、綺麗にしようと――」
『今すぐ戻せ』
遮るように、父が言った。
その声には、りというよりも、神経を研ぎ澄ませた獣のような、徹な警戒が宿っていた。
『掃除など適当でいい。今すぐシートを元の位置に戻して、ボルトを締めろ。……いいな、拓』
「父さん、この――」
『戻せと言っているのが聞こえないのか!』
突然の声が、スピーカーを割らんばかりに響いた。
ガレージの壁に反響するほどの声量。 俺のが微かに震え、通話からしをした。
受話器の向こうで、父が荒い息を吸い込む音がした。 そして、数秒ののち。
何事もなかったかのように、あの穏やかなトーンが戻ってきた。
『……すまない。声を荒らげた。今、京ドームでかれるチャリティイベントの打ちわせでね、神経がぶっていたようだ』
嘘だ。 全部、嘘だ。
『とにかく、はそのままにしておけ。、りいの専業者に頼んで、内クリーニングを括でやらせる配をとる。おがを汚す必はない』
「……分かった」
『それと、拓』
父が最に、を押すように言った。
『シートベルトの具や、細かいパーツには触るなよ。古い式のものは、に触るとロックがかかってかなくなる。
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……分かったな?』
「……うん」
通話が切れた。
ツーツーという無質な切断音だけが、の奥に残り続ける。
俺はゆっくりとスマートフォンをろし、目のの景を見つめた。
コンクリートのに転がされた、列目のシート。 4センチ引き延ばされた、黒いシートベルト。 そして、無理やり噛みわされ、切断された赤い紐を吐きした防犯ブザーの残骸。
父は、っていたのだ。
こののに、何が残されているのかを。 触れられてはならないものが、どの座席の、どの具のに潜んでいるのかを、、片も忘れずに把握していたのだ。
「……拓」
健さんが、い表で俺の肩にを置いた。
「これ、警察に持ってくか?」
俺は首を横に振った。
「持っていっても、『の事故の痕跡に過ぎない』って言われて終わるといます。父さんは今、警察庁のりが理事を務めてる支援団体の顔です。確実な証拠がなきゃ、払いにされる」
それに、警察に駆け込んだ瞬に、父のに入る。
もし父が、本当に俺の像しているような化け物なのだとしたら。 途半端なきを見せた瞬、このも、このデータも、すべて跡形もなく消しられる。
俺は屈み込み、に落ちていた防犯ブザーの破片を拾いげた。
汚れたプラスチックの触が、指先にたく刺さる。
あの。 の。
伊豆ので、何が起きたのか。 午分、速百キロで激突した内で、菜はどうなったのか。