みかん小説
本棚

"廊下の清掃員が紡ぐ奇跡のメス" 第6話

そんなに、再びの胸を切りく資格などあるはずがない。 自分は清掃員だ。落ちたゴミを拾い、汚れたを磨き、誰にも気づかれずに消えるべきなのだ。

『あと分だ! 筋の壊逆領域に入るぞ! アドレナリンをもう本打て!』 初療から、リーの鳴にい声が漏れた。 ベッドの脇で、秘官のミラーが膝を突き、神に祈るように両を組んで泣き崩れていた。 「神よ……ロバートを助けてくれ……彼にはまだ、この国で成し遂げなければならないことがあるんだ……頼む……!」

その祈りの声が、桐の鼓膜を震わせた。

は、ゆっくりと自分の両を見つめた。 あかぎれで裂け、洗剤で荒れ果てた、老いた清掃員の。 だが、このっている。 拍する筋の温もりを。 命が尽き果てようとする瞬の、あの微かな魂の抵抗を。 そして、メスの筋、針糸のひと結びに宿る、の尊厳のみを。

(見殺しにするのか?)

の何者かが、桐に問いかけた。 過のトラウマに怯え、己の保のために沈黙を守り、目ので消えろうとしている命に背を向けるのか。 おがメスを置いたのは、傷つくのが怖かったからではないのか。 患者のという痛みに耐えかねて、逃げしただけではないのか。

「……違う」

く呟いた。 声は、かすれていたが、鋼のような度を帯びていた。

広告

自分が本をったのは、メスを捨てたのは、命を弄ぶような医療の傲さを恐れたからだ。 だが今、目のにあるのは名誉でも位でもない。 ただ、消えゆくつの命だった。 救える技術を持ちながら、過の傷を言い訳にしてそれを見捨てるなら、それこそが真の「殺」ではないのか。

く、く息を吸い込んだ。 肺の奥底まで、え切った病院の空気を満たす。 そして、作業用の黄ゴム袋を、ゆっくりと、しかし切の迷いなくした。

袋がペチャリと音をててのワゴンに落ちる。 桐は背筋を伸ばした。 猫背だった背骨が真っ直ぐに伸び、どこか怯えたように伏せられていた両目が、鋭利な刃物のようなを宿して見かれた。

彼はモップを壁際に静かにてかけた。 その所作は、まるで決戦のに臨む武士が、刀を鞘から抜くの静寂に似ていた。

初療の自ドアのへ、桐歩、を踏みした。 センサーが反応し、シューという空気音とともに化ガラスの扉がスライドする。

血と消毒液の匂いが充満する密へ、青い作業着を着た無な清掃員が、静かにを踏み入れた。

「私に、やらせてください」

く、しかし初療のあらゆる計器のアラーム音を貫くほど芯の通った声だった。 内のが、瞬にして凝固した。

広告

ベッドの臓マッサージを続けていたドクター・リーのが止まりかけ、除細器のパドルを構えていた護師が呆然と目を瞠る。全員の線が、自ドアの枠に柄なの老に突き刺さった。 サイズのわない青い作業着。洗剤で荒れた素。そして、元には汚れた作業靴。

秒の完全な沈黙の、最初にを取り戻したのはマイケルだった。彼の顔面が、恐怖から転して侮蔑と激で赤黒く染めがった。

「……おい、ジジイ! 何の真似だ! ここは清掃員が入っていい所じゃない! 失せろ、今すぐ警備員を呼んでこの狂を叩きせ!」 「の程をりなさい!」護師のマーガレットもまた、ヒステリックな切り声をげた。「衆国の院議員が止なのよ! 掃除夫の分際で、の命を弄ぶような悪ふざけはやめなさい!」

罵声の嵐が初療を満たした。エリートたちの恐怖と混乱は、最もな「者」への攻撃性となって爆発していた。 しかし、桐徹は微だにしなかった。罵声を浴びせられながらも、その澄んだ黒い双眸は、ベッドのに横たわるウェリントン議員の胸郭とモニターの波形だけを徹に見据えていた。

枝(LAD)位部、対角枝直の完全閉塞だ」 桐は静かに、淀みない英語で紡ぎした。 「図のST昇パターン、エコーによる壁の無収縮から見て、主幹部から枝にかけての急性血栓性閉塞に疑いの余はない。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: