"廊下の清掃員が紡ぐ奇跡のメス" 第1話
午分。ニューヨーク、アッパー・マンハッタンの夜気は、骨の芯まで凍てつかせるような気を含んでいた。ハドソン川から吹きげる湿ったが、ブロードウェイ百丁目にそびえつコロンビア学医学部付属病院の巨なガラス壁をびっしりと曇らせている。
この全米屈指の権威を誇る名病院の階、央術棟の廊には、のを拒絶するかのような均な蛍灯のが満ちていた。ツンと腔を突く塩素系漂剤と消毒薬の匂い。その静寂を破るのは、古びたモップ絞り器が軋む、鈍く規則な属音だけだった。
「ふう……」
桐徹は、青い作業着の袖で額に滲んだ脂汗を静かに拭った。 く刈り込まれた髪にはいものが目ち、く刻まれた目尻の皺がという歳のみを無言で物語っている。柄でやや屈みの体に纏った作業着は、病院の委託清掃会社から支された物で、肩幅のサイズがわずかにっていなかった。
彼はにしたモップを滑らせた。リノリウムのに描かれたわずかな靴底の黒ずみ、ストレッチャーのキャスターが擦れた微細な跡。それらを、切の無駄がない、精密械のような軌で拭いっていく。見すれば、ただの老いた清掃員のな労働に過ぎない。
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しかし、そのの運び、体の移、そしてモップの柄を握る両の繊細な力の抜き差しは、極限まで無駄を削ぎ落とした武の演武か、あるいは選び抜かれた科医の運刀をわせるものがあった。
ゴム袋をした桐ののひらは、の洗剤焼けによって皮膚が化し、あちこちに赤黒いあかぎれが裂けていた。 だが、その指先は異様なほどにかった。太い節の奥にある関節は滑らかで、どれほどいモップのバケツを持ちげたでも、決して微細な震えを起こすことはない。かつて本の、いや世界の臓科界で「奇跡を紡ぐ指」と讃えられたその両は今、異国のたいを磨くためだけに費やされていた。
「おい、そこのジジイ! 何ぼさっとして突っってんだよ」
廊の向こうから、無慮で甲い声が響いた。 のポケットに両を突っ込み、コップのコーヒーを片に持った若研修医のマイケルだった。そのろには、同僚の医師と、クリップボードを抱えた女性研修医のサラが、馬鹿にしたような笑みを浮かべて連なっている。
マイケルは桐のすぐ脇を通り過ぎる際、わざと靴底をリノリウムに擦りつけるようにしてち止まった。
「もいのか? 第術の、患者の吐瀉物とガーゼの切れ端が落ちたままだぞ。
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さっさと片付けろ。これだから英語もろくに喋れない寄りのアジアは困るんだ。い賃で雇われてるんだから、最限の仕事くらい使ってやれよな」
マイケルの放った言葉には、剥きしの優越と悪が籠もっていた。彼らはアイビーリーグを優秀な成績で卒業し、全米トップクラスの病院にレジデントとして採用されたエリートたちだ。夜勤務の過密スケジュールで蓄積したストレスを、反論すらできない最底辺の清掃員にぶつけることで発散しているに過ぎなかった。
桐は眉ひとつかさず、静かに作業用のワゴンを引き戻した。
「I'm sorry. I will clean it up immediately.(申し訳ありません。すぐに清掃いたします)」
発音は決して流暢ではなかったが、く、驚くほど落ち着いたトーンだった。くをげる桐の頂部に、マイケルはふんとを鳴らしてコーヒーの残りをゴミ箱に投げ入れた。
「おい見ろよ、サラ。あのペコペコをげる仕。の典型だな。性と尊厳ってものを母親の胎内に忘れてきたんじゃないのか?」
同僚の医師たちがクスクスと品のない哄笑を漏らす。サラだけが、わずかに気まずそうに線を逸らしながらも、マイケルの腕を引いて歩きっていった。 「マイケル、もうきましょう。午からの抄読会の準備があるのよ」
彼らの音がざかり、再び静まり返った廊に、桐は取り残された。 侮蔑の言葉、見すような嘲笑。