"十二年前、泥水に捨てられた私" 第2話
ヶにも満たない娘の紬を、い晒し布で自分の胸元に固く括りつけながら、奈緒はのな扉ののぬかるみに両膝をついていた。
たいが髪を伝い、界を容赦なく奪っていく。物の着物は混じりのを吸いげて鉛のようにくなり、肌に張り付いて息を吸うことさえ苦しい。
だが、体の凍えるようなたさなど、今まさに胸の奥で渦巻く裏切りの痛みに比べれば、何のも持たなかった。
「やかましい! 誰がをけるか!」
の内側、インターホンのスピーカー越しではなく、わずかにいたの隙から聞こえてきたのは、夫である隆司の甲い声だった。
母である静子の背に隠れ、怯えと苛ちの混ざった目を向けているのが暗がりでも分かった。
、同じ根ので夫婦として暮らしてきた男。
しかしその瞬、奈緒の目には、目のにいる男がまったく見らぬ怪物のように見えていた。
「そもそも、おがまともな継ぎを産まなかったのが悪いんだろうが! がどれだけ男の子を欲しがっていたか、最初から分かっていただろう!」
「そうですとも! よくもまあ、そんな吉な赤ん坊を抱えてうちの敷居を跨げたものだわ!」
続けて響いたのは、義母・静子のを劈くような声だった。
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老舗呉『』の女将として、こので君臨してきた静子のには、きな平皿が握られていた。
静子はまるで悪霊でも祓うかのように、奈緒に向かって容赦なくい結晶を投げつけた。
ばちばちと、乾いた音がして、荒塩の粒が奈緒の頬や首筋に容赦なく叩きつけられる。
奈緒はとっさに背を丸め、胸のの紬を自分の全で覆い隠した。
「お義母様、やめてください! 塩が紬にかかったら……!」
「黙りなさい! 跡継ぎの男の子産めない役たずが、どの面げて母親面をしているんだい! も待ってやった結果が、予定よりも遥かにく産み落とした、未熟児の女の赤ん坊だと? まともに泣き声すらげられないような来損ない、の血を引いていると認めるわけにはいかないよ!」
静子の放つ言葉の刃が、奈緒のを無慈に切り刻んでいく。
紬は産で、千百グラムにも満たない極未熟児としてまれてきた。保育器ので管に繋がれ、命の危を何度も乗り越えて、ようやく退院してに連れて帰ることができた、かけがえのない命の塊だった。
だが、静子も隆司も、紬を抱こうとさえしなかった。
「こんな病な女児、何の役にもたない」「病院代ばかりかかってい虫だ」と、毎顔をわせるたびに舌打ちを繰り返すばかりだった。
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「はこので百続く老舗なんだよ! おのような貧相な女のせいで名を汚されてたまるかい! さっさとその汚らわしい赤ん坊を連れて消え失せろ!」
ガシャン、と苦しい鉄のが完全に閉ざされ、内側から閂が落とされるい音が響いた。
その音は、いかなる鳴よりも鋭く、奈緒の臓を握り潰した。
奈緒はのに崩れ落ちたまま、赤く腫れがったで扉を叩いた。
「けてください……! お願いです……紬の薬だけでも……!」
返事はなかった。
やがて玄関のかりが消え、の広な敷は、完全な沈黙のに沈んでいった。
ピカッと再び稲がり、瞬だけたまりに自分の姿が映しされた。
まみれの着物を着て、赤ん坊を抱き、面にいつくばるれな女。
その、胸元から、微かな、か細い鳴き声が漏れた。
「……ふえっ……ぅ……」
はっとに返る。
奈緒は震えるで紬の頬に触れた。濡れてたくなりかけたさな顔。それでも、懸命に温もりを保とうとしている。
「紬……ごめんね。ごめんね……」
奈緒はだらけの膝に力を込め、ふらつきながらちがった。
く当てもない。
頼れる実など疾の昔にない。
だが、ここで蹲って凍えてぬわけにはいかない。
「私が守る。何があっても、絶対にこの子だけは……」
歩、また歩と、奈緒はのりしきるのへとを踏みした。
背で、のが次第にに溶けてさくなっていく。
頬を流れるものがなのか涙なのか、もう自分でも分からなかった。