"開けなかった手紙" 第12話
島に再び300が暮らすは、おそらく来ない。
閉じた学から、昔のように子どもの声が響くこともないかもしれない。
それでも、波島で営まれた暮らしまでなくなったわけではなかった。
それはと緒にを渡り、別の町へ移っていった。
阪へ。
尼崎へ。
堺へ。
そして、その子どもたちや孫たちのへ。
島に残ったのは、空きと畑とだけではない。
誰かが帰ってくるたびに語られる話が残った。
「あそこに学があった」
「あので菓子を買った」
「あの坂を毎朝、郵便がってきた」
そしてきっと、その話のどこかには、何もをけなかった頑固な老のことも残る。
通残っていれば、が残る。
そう考えて、何通もの封筒を仏壇の横へ積みげていた老。
けれど最には、そのを全部いてしまった。
もう、封筒のにを残さなくてもよくなったからだ。
朝になれば誰かがいる。
夕方になれば帰ってくるがいる。
「また」と言える相がいる。
それは、学ややよりもさく見える。
けれどがそこで暮らし続けるためには、何より切なものなのかもしれなかった。
昭49。
波島から、はしずついなくなっていった。
昭50。
毎運航していた渡しも終わった。
けれど、崎源次郎の「」まで終わったわけではない。
むしろあのに乗ったから、彼にはしいが始まった。
そして何経っても、正吉が源次郎から届いたを読むたび、最の1で必ず笑うのだった。
《島にいた頃より、ずっと忙しいです。》
それは、島を失った老の寂しい報告ではなかった。
もうの予定を、自分で作らなくてよくなったの、
何より幸せな況報告だった。