"母の尊厳を踏む家なら捨てます" 第1話
「ちょっと、仲居さん。これ、げてくださる? 臭いが移ると困るのよ」
座の裏にある老舗料亭の個に、相澤敏恵のよく通る声がややかに響いた。 テーブルの端、のお盆のに置かれていたのは、桐の箱に入った作りの羊羹だった。栞の母、登紀子が今朝の午に起き、豆を煮て丁寧に漉し、両の顔わせのために仕げたものだ。熨斗には、慣れないで「寿」の文字が記されていた。
敏恵はその箱の角を、懐からしたナプキン越しにつまみ、仲居の盆へと押しやった。 指本、直接触れようとはしない。
「お母様、それは私の母が――」 栞が反射にを乗りした瞬、隣に座る婚約者の隆司が、テーブルので彼女の首を万力のような力で掴んだ。 骨がきしむほどのさだった。
「栞、を挟むな」 隆司はを向いて笑みを貼り付けたまま、歯の隙からい囁きを漏らした。 「母さんは流のものをってるなんだ。恥をかかせるな」
「でも、母さんが朝くから……」 「いいから黙ってろ。雰囲気を壊す気か」
首の痛みに栞の息が止まる。 向かい側に座る母の登紀子は、膝ので荒れた両をねたまま、さくを縮めていた。、油と湯に晒され続けて節くれだった指先が、わずかに震えている。
「ごめんなさいね、相澤さん」 登紀子は静かにをげた。
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「私のような町の者が、差しがましい真似をいたしました。おにわないものをお持ちしてしまって」
「ええ、本当に」 敏恵は湯呑みを持ちげ、もをつけずにテーブルへ戻した。 「がは代々、赤坂の老舗のものしかにいたしませんの。お気持ちだけはいただきますけれど、お祝いの席には相応の格というものがございますでしょう? 隆司から、森さんのお宅はさな定をなさっていると伺ってはおりましたけれど……やはり、育ちの違いというのは隠せないものね」
敏恵の隣に座る父親の康男は、元の刺をつついたまま、度も顔をげない。まるでそこに誰もいないかのように、ただ黙々とをかしている。
「母さん、そのへんにしといてよ。森さんも悪気があってのことじゃないんだから」 隆司が取りなすように言った。 だがその言葉は、母の無礼を諌めるものではなく、栞の母の無を庇ってやるという傲な響きを帯びていた。
「隆司、悪気がないからと言って許されることばかりではないのよ」 敏恵は首元の粒の真珠を弄びながら、栞を値踏みするように見つめた。 「栞さん。あなたもこれから相澤の嫁になるのですから、恥をかかないように礼儀作法をにつけてもらわなければ困ります。保育士というお仕事も、子供のお世話をするだけなら結構ですけれど、にるとしてはし世らずが過ぎるんじゃありませんこと?」
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栞は唇を噛んだ。喉の奥がくなり、言葉がせりがってくる。 だが、界の隅で登紀子が首を横に振った。 「しなさい」と、その目が語っていた。娘の結婚を破談にさせたくないで、母は侮辱を丸ごとみ込もうとしていた。
料理のは、何つ覚えていなかった。 、料亭の玄関先で相澤のを見送ったあと、栞の首には隆司の指の跡が赤の痣となって残っていた。
タクシー乗りへ向かうすがら、登紀子は提げ袋から先ほどの桐箱を取りした。 仲居が気を利かせて、でそっと登紀子に返してくれたものだった。
「栞、これ、持って帰りなさい」 登紀子はいつもの穏やかな顔で微笑んだ。 「あんたの好きな、甘さ控えめにしてあるから」
「……お母さん、どうしてあんなこと言われて黙ってたの」 栞の声が震えた。 「あんなの、失礼すぎるよ。お母さんがどれだけをかけて作ったか、私、ってるのに」
「いいのよ」 登紀子は栞のコートの襟元を直した。そのはたかったが、触れられた肌は温かかった。 「お相のお母様は、隆司さんを派に育てげられた誇りがあるんでしょう。私みたいなのがしゃばって、あんたのが悪くなるのが番いけないことだから。結婚ってね、そういうの積みねなのよ」