"「昔みたいに頼むよ」と元夫は言った" 第1話
「あなた、婚してまで選んだ仕事が、まだ老の世話なの?」
6ぶりに会った元姑・澄は、介護付き料老ホーム《こもれび館》の相談で私を見げ、昔と同じい笑いを浮かべた。隣には元夫の隆弘が座り、私の名札を確かめるように目を細めている。
私は48歳だった。紺の制の胸には、《施設運営責任者・相沢真紀》とかれている。婚に旧姓へ戻し、介護福祉士と社会福祉主事の資格を取り、この施設で相談員から働き始めた。現は職員の勤務、入居契約、事故対応を統括している。
「本は担当相談員が伺います。私は内だった関係がありますので、入居判定には直接加わりません」
私がそう告げると、隆弘はほっとしたように笑った。「むしろ話がいだろ。母さんの性格も体のことも、おまえが番分かってる。昔みたいに頼むよ」
昔みたいに。その言葉で、22の結婚活が瞬にして戻ってきた。
澄は70歳のに膝を術し、退院の半を私が世話した。事、入浴、通院、薬の管理。隆弘は仕事が忙しいと言い、義妹の美紀は子どもがさいと断った。私はスーパーの正社員を辞め、週3のパートへ変わった。
半に澄が歩けるようになっても、私は事と通院の担当かられなかった。澄は「嫁がで偉そうに働く必はない」と言い、隆弘も母がするならにいてくれと頼んだ。
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婚を切りしたのは隆弘だった。私が夜の介護資格講座へ通い始めた頃、彼は13歳の取引先社員と交際していた。「母の世話に向いているおまえと、女として緒にいたいは別だ」と言われた。
財産分与では、夫婦の預とマンションの持分を話しい、私は620万円を受け取った。豪華な慰謝料でも、隠された資産でもない。弁護士費用と転居費を払い、残りを学費と活費に使った。婚の最初の2は、昼にデイサービス、夜に清掃の仕事をした。
澄は相談の子で脚を組み替え、「ここ、ずいぶんいんでしょう。あなたの顔でしくらいくならないの?」と言った。
「料は契約内容で決まります。個な割引はできません」
「元姑を助けようという気持ちはないのね」
「必な支援は、ほかの方と同じ順で案内します」
担当相談員のを呼び、私は退した。廊へると、のひらに汗をかいていた。制と役職があっても、澄の声を聞けば、夕のがいと鍋を流された頃の自分へ戻りそうになる。
1、が私の机へ類を持ってきた。「相沢さん、この元引受欄、確認してもらえますか」
入居相談票の第1連絡先には隆弘、第2連絡先には義妹の美紀がかれていた。ところが、緊急の主介護者欄には私の旧姓と、現の携帯番号が記入されている。
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《田島真紀・男の元妻。本の介護歴がく、緊急対応能》
私はその類へ署名していない。携帯番号は婚に変え、この施設と限られたしからない番号だった。
私は婚、澄の介護記録を学ノートへ毎いていた。血圧、事量、薬、歩距。隆弘に共しても「おまえが分かっていればいい」とかなかった。
澄が回復したも、記録は終わらなかった。科、歯科、糖尿病の通院が増え、私はパートの勤務希望を削った。から正社員へ戻らないかと言われた、隆弘は母の予定を誰が見るのかと先に尋ねた。
倫をったのは、介護講座の帰りだった。隆弘のスマートフォンへ、女性から《今夜はお母様のところ?》と届いた。彼は否定せず、私がを空けたから寂しかったと言った。
婚調では、澄の介護が財産分与をきく増やす魔法の材料にはならなかった。だが退職期、計への貢献、夫婦財産を理するため、通帳と記録は役にった。ではなく、何どのように活を支えたかを示す台になった。
私は再会した2に、その苦労を並べなかった。今の相談で必なのは、過の判決ではなく、これから誰が何を担当するかだった。
隆弘へ連絡すると、「悪気はない」と言った。施設のウェブサイトに掲載された職員紹介で私を見つけ、代表話から内線をつないでもらう際に番号を聞いたという。