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"葬儀代10万円を拒んだ叔父――17年後、空の封筒を持って私は戻った" 第4話

返送された

施設へ移った最初の、私は夜になるたび、机の引きしから茶い封筒を取りした。悔しさで眠れないは健造の言葉をし、が折れそうなは佐藤さんのの温かさをした。

では奨学を受け、放課聞配達と堂の皿洗いをした。古のパソコンに初めて触れたのは16歳のだった。数字を正しく入力すれば、械は柄や装でを選ばない。その公平さにひかれ、私は授業が終わっても実習に残った。

母の借用を表計算ソフトへ入力し、支払額と残の変化を初めてグラフにした夜、私は画面のけなくなった。母がいくら働いても抜けせなかった仕組みが、数字の形ではっきり見えたからだ。だけでは否定される。それなら、誰にも消せない記録を積みねればいい。その考えが私のを決めた。

18歳で施設をたあとは、さなアパートから専へ通い、卒業京のシステム会社に就職した。取引先の零細企業が利な契約で資を失っていく現を何度も見たことが、の事業につながった。

25歳で仲2と会社をげた。契約と入データの異常を検し、企業の経営リスクをらせるサービスだった。最初の1は赤字で、料を払うために自分の費を削った。

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それでも、い会社ほど報を必としているという考えだけは変えなかった。

最初の顧客から、取引先に利な数字を除してほしいと頼まれた、私は契約を断った。そのは事務所の賃さえ危うくなったが、仲の2は辞めなかった。「数字をい者の具にしない会社を作るんだろう」と言われ、私は初めて、自分がで戦っているのではないとった。

会社はしずつ顧客を増やし、私は31歳での鐘を鳴らした。壇で拍を浴びたも、スーツの内ポケットには、あの空の封筒が入っていた。

もちろん、佐藤さんを忘れたはない。

18歳で最初の料を受け取った、私は10万円とを用して、かつてのアパートへ送った。だが、封筒は「転居先」の印を押されて戻ってきた。話番号もすでに使われておらず、その何度調べても、同姓同名のい佐藤正というを見つけることはできなかった。

封を切らないまま戻ってきたには、赤いスタンプの付が残った。私は会社を移転するたび、そのと菓子缶を自分ので運んだ。成功してから探せばいいと先延ばしにした期があったことも、のどこかで佐藤さんにわせる顔がないとっていたことも、否定できなかった。

が訪れたのは2013、私が32歳になっただった。

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母の命に菓子缶の類を読み返した私は、顧問弁護士の鈴真理に健造の会社の現状を調べてもらった。単なる過の復讐にするつもりはなかったが、同じが続いているなら見過ごせなかった。

3週、鈴から連絡が入った。

「健造の会社は、現も無登録にい形で利の貸付けを続けています。確認できただけで被害者は12、問題のある産は6件です」

私は窓際にち、京の夜景を見ろした。

「警察には?」

「資料を提し、田刑事が内偵をめています。ただ、至急確認していただきたい名があります」

から送られてきた調査表をいた瞬、指が止まった。

連帯保証――佐藤正、75歳。

請求額――2000万円。

所欄には、17のアパートから数百メートルしかれていない、見覚えのあるの名が記されていた。

私は机の引きしから、返送されたままのと茶い封筒を取りした。

今度こそ、わせなければならない。

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