"葬儀代10万円を拒んだ叔父――17年後、空の封筒を持って私は戻った" 第2話
10枚の万円札
封筒をけると、丁寧に折り目を伸ばした1万円札が10枚入っていた。
「10万円……」
わず顔をげると、佐藤さんは照れたようにのをこすった。作業着の袖は擦り切れ、玄関のに置かれた靴には穴がいていた。これが簡単に差しせるでないことはらかだった。
封筒のには、何度も数え直したような鉛の跡があった。佐藤さんはから根の修理をすると話していた。のい夜には隣まで受けの音が聞こえていたから、そのために貯めていただとすぐに分かった。
「受け取れません。佐藤さんだって、今の賃があるでしょう」
「はまた働けばつくれる。だが、お母さんを見送れるのは今だけだ」
い声でそう言われ、私は封筒を胸に抱えた。健造の敷では何度をげても届かなかった言葉が、この狭くえた玄関では、何も求められずに差しされた。
翌朝、佐藤さんは仕事を休み、役所と病院へ付き添ってくれた。窓では、15歳の私がで続きをめられない事を説し、担当者から利用できる支援と最限の見送り方を教えてもらった。佐藤さんの10万円は、葬儀社への支払いと葬に必な費用に充てられた。
類の続柄欄でが止まるたび、佐藤さんが横から必な言葉を教えてくれた。
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葬儀社との打ちわせでは、私が値段を聞けずにいると、なものをつずつし、それでも母の顔のそばに置くだけは残してくれた。
通夜もきな祭壇もなかった。さな部にいを数本飾り、母が好きだった缶入りの茶を棺のそばに置いた。参列者は私と佐藤さん、それに母の勤務先から来てくれた女性の3だけだった。
父方の親族にはを伝えてあったが、誰も来なかった。健造から届いたのはでも典でもなく、「借の類を勝に処分するな」というい伝言だけだった。
母の顔を見られる最の、私は何度も謝った。
「ごめん。もっとく働ければよかった。俺に力があれば、母さんをこんなに働かせなかった」
すると、ろにっていた佐藤さんが、震える私の肩へそっとを置いた。
「子供が親に謝るな。美さんは、君がいたから頑張れたんだ」
その言で、こらえていた涙が初めてあふれた。私は棺にすがりついて泣いた。佐藤さんは急かさず、葬へ向かうになるまで、黙ってそばにいてくれた。
夕方、い布に包まれたさな骨壺を抱えてアパートへ戻った。部はより広く、たくじられたが、母を置きりにせずに済んだという堵だけは胸に残っていた。
台所には米が茶碗1杯分だけ残っていた。
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佐藤さんは自分の部から卵と噌汁を持ってきて、「今はべるのも供養だ」と言った。私は何度も箸を止めながら、それでも全部べた。母がいなくなってから初めて、まできようとえた事だった。
佐藤さんが帰ったあと、私は空になった茶い封筒を捨てずに、母の通帳と緒に机の引きしへしまった。封筒の角には、佐藤さんが鉛でいたらしいさな数字が残っていた。
「1万円×10」
たった10万円だったのかもしれない。だが、320円しか持たなかった私にとって、それは母の尊厳と私のを救ってくれた、何よりもきなだった。
数、児童相談所の担当者が部を訪ねてくることになった。私は施設へ移るに母の荷物を理し始めた。
押し入れの奥から、見覚えのない古い菓子缶がてきたのは、その夜だった。