"葬儀代10万円を拒んだ叔父――17年後、空の封筒を持って私は戻った" 第1話
のの座
「お願いします。母の葬儀代を、しだけ貸してください」
1996の、15歳だった私は、父の兄である黒川健造の敷ので額を面につけていた。たいが制の背を打ち、膝のでは砂利がに沈んでいる。それでも顔をげることはできなかった。
父は5に病気でくなり、母の美は昼も夜も働いて私を育ててくれた。その母が3、勤め先で倒れ、そのまま帰らぬになった。病院からは翌朝までに葬儀社を決めてほしいと言われていたが、母の通帳に残っていたのは、わずか320円だった。
最に交わしたのは、朝のい会話だった。母は青い顔で弁当箱を包みながら、「今を越えればし楽になるから」と笑った。私はその言葉を信じ、ってらっしゃいとしか言わなかった。病院で渡された母の鞄には、べられなかった弁当と、折り畳まれた督促状が入っていた。
父方の親族には朝から話をかけた。誰もが「うちも余裕がない」「健造さんに相談しろ」と言って切ったため、私は最の望みを抱いてここまで来たのだ。
玄関のひさしのには、叔母や従兄たちもっていた。私と目がうと、皆わずかに線をそらした。その央で、等な黒いコートを着た健造だけが、汚れたものを見るように私を見ろしていた。
「葬式だと? んだにをかけて、何になる」
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「必ず働いて返します。も諦めます。だから、母をこのままにするのだけは……」
「を諦める?」
健造はで笑い、傘の先で私の肩を押した。
「おみたいな貧乏が、最初から学できるとっていたのか。を持たないは、、持っているにをげてきるんだよ」
私はので両をつき直した。
「10万円でいいんです。お願いします」
その言葉を聞いた途端、健造の顔から笑みが消えた。磨かれた革靴の先が、私の頬を横から蹴りげた。体が傾き、たいがのに入る。
「おの母親は、借りたも満に返せなかった。そんなのに貸すは1円もない」
背でさく息をのむ音がしたが、助け起こす者はいなかった。健造はの内側に戻りながら、私に聞こえるように言った。
「覚えておけ。世のには奪う側と、奪われる側しかいない」
いが閉まり、私はしばらくちがれなかった。痛かったからではない。父と同じ名字を持つたちのに、自分の居所が1つもないと分かってしまったからだ。
の向こうでは、叔母が「所に見られたら困る」と声で言い、従兄が笑っていた。私は落ちた学鞄を拾い、袖で元のを拭った。扉に映った自分の顔はと涙で濡れていたが、もう度けてくれと頼む力は残っていなかった。
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夕方、私は古いアパートへ戻った。のない6畳には母のカーディガンが掛かったままで、卓にはみかけの薬が残されている。通帳をもう度いても、残の「320」という数字は変わらなかった。
涙をこらえて葬儀社の話番号を探していると、い玄関扉が控えめに3回鳴った。
「君、いるかい」
隣にむ佐藤正さんの声だった。ドアをけると、にぬれた作業着姿の佐藤さんがっていた。資源回収と雇い仕事で暮らす58歳の暮らしで、自分の活にも余裕がないことは、子供の私にも分かっていた。
佐藤さんは赤く腫れた私の頬を見たが、何も尋ねなかった。ただ、ひび割れたをジャンパーの内側へ入れると、使い古した茶い封筒を取りした。
「これを使って、お母さんを送ってやれ」
押し返そうとした私の両を、佐藤さんの温かながく包んだ。
「慮するのは、見送ってからでいい」
封筒には、ずっしりとしたさがあった。