"27年後、娘は父の葬儀に帰ってきた" 第2話
佐子が尋ねると、正は写真を奪うように取った。
「会社へ何度か連れてきただろう。顔くらいっていてもおかしくない」
「理恵さんは今、どこにいるの?」
「らない。退職してから連絡はない」
警察が理恵の旧所を訪ねると、部はすでに引き払われていた。実の族も、現の居所はらないと答えた。
理恵と美穂。
2は、同じ期に姿を消していた。
美穂の捜索は期化した。事件から1が過ぎても、警察が得られた確かな報は、いセダンと川理恵のだけだった。
理恵名義のは群馬県内の古販売で見つかった。失踪の3に売却されており、員は本確認類も受け取っていた。
つまり理恵は、自分のを使って美穂を連れったのではない。いセダンは別名義か、借りただった。
正は、娘の失踪を会社の広報にも利用した。社用に美穂の写真を貼り、取引先へチラシを配り、従業員には休の捜索参加を求めた。
域では「娘を捜し続ける父親」としてられるようになり、正の会社には応援のや寄付が届いた。取引先からも同され、公共施設の修繕事を任される会が増えた。
佐子も夫とともに捜索を続けたが、が経つにつれて夫婦のにはきな溝ができた。正はテレビの取材があるだけ、美穂の部へを飾った。
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取材が終わると、娘の机に積まれたを箱へ戻し、部の扉を閉めた。佐子が理恵について調べようとすると、過ばかり見ているからへめないと責めた。
「へむって、美穂を諦めること?」
「そうは言っていない。ただ、証拠もないのに理恵を疑っても仕方ないだろう」
「美穂が名を呼んだのよ」
「子どもの証言だ。聞き違いかもしれない」
正は理恵との関係を否定し続けた。しかし、佐子は夫のシャツから、では使っていないの匂いがすることを以からっていた。
美穂が失踪する半、理恵から自宅へ話がかかってきたこともあった。正に代わると、2はさな声でく話していた。
当は会社の経理について相談しているのだとっていた。娘が消えたあとになって、佐子は別の能性を疑い始めた。
警察も正と理恵の関係を調べたが、決定な証拠は見つからなかった。正は倫を認めず、理恵へ特別なを渡した記録もないと説した。
ただし、設の帳簿には自然な支払いがあった。
《群馬県内現・仮設宅費》
毎18万円から25万円が、実しない事現の費用として計されていた。支払いは理恵の退職も続き、受取先は複数の個名義座へ変更されていた。
当の経理担当者は、正から直接指示を受けたと証言した。
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しかし警察は、会社の正会計と美穂の失踪を結びつける証拠がないとして、く追及しなかった。
佐子はそのも毎、美穂の誕になると聞の尋欄へい文章を載せた。
《美穂へ。お母さんは今も同じにいます。どんな姿になっていても、帰ってきてください》
掲載された記事は27分、すべて切り抜いて赤いファイルへ保管した。美穂がいつか帰ってきたら、捜し続けていた証拠として見せたかった。
方、正はとともに社会なをめていった。域の防犯協会役員を務め、方児童の族を支援する活にも参加した。
会社の事務所には、美穂のきな写真が飾られていた。初めて訪れたには必ず、これは27に消えた娘だと説した。
佐子は59歳のに正と別居した。婚を求めたが、正は世体を理由に応じなかった。
「美穂が帰ってきた、両親が婚していたらどうう」
その言葉に、佐子はい縛られた。
美穂が戻るかもしれない。娘の帰る庭を壊してはいけない。そう考えて、完全に関係を断つことができなかった。
20226、正は会社の事務所で倒れた。搬送先の病院で息を引き取り、72歳だった。
葬儀には取引先や域団体の関係者が勢参列した。祭壇には美穂の幼い写真も置かれ、司会者は、正が最期まで娘の帰りを待っていたと紹介した。
佐子は遺族席でその言葉を聞きながら、何もじなかった。