"家族席から外された弟" 第5話
私はまず、駅ビルと補助事務局へ署名を否認する通を弁護士名で送ることにした。兄の会社が域事業転換の補助も申請していると、承諾の記載から分かったためだ。審査側は申請をいったん保留し、会社へ説を求めた。
私はすぐ兄を告訴しなかった。父の健康や従業員を理由に許したのではない。事実関係を集めず、りだけでけば、兄は「族内のき違い」と主張するだろう。警察へ相談記録は残し、原本の保全と今の接触方法を弁護士に確認した。
方で、へは面のシフトにだけ勤した。兄は私を厨へ入れず、倉庫の理を命じた。与を止める実を作らせないため、私は指示されたにき、業務内容を記録した。
同僚たちは気まずそうに目をそらした。久美子だけが休憩に、「が戻らない」と言った。
「私が戻れば済む話に見える?」
「済まない。でも、利用者さんは待っている。私も、どうすればいいか分からない」
私は彼女を方に引き込まなかった。職を失う危険を負わせる権利はない。ただ、退職するに備えて、自分が個に持つ管理資料と会社の記録を区別する作業を始めた。
その週末、澪の吹奏楽部の発表会があった。私は久しぶりに最初から最まで客席に座った。妻の、発表会のも朝配達をして途から入ることがかった。
広告
帰り、澪は「おじいちゃんの、なくなるの?」と尋ねた。
「分からない」
「お父さんがすれば、なくならない?」
私はを止めた。それこそ、娘へ見せたくなかった考え方だった。
「誰かがずっとしないと続かないなら、続け方を変えなきゃいけない」
澪はすぐには納得しなかった。「でも、で働いているは悪くないよ」
「そうだな。だから、できることを考える。でも、お父さんが全部背負う約束はしない」
言いながら、私は初めて自分にも同じ言葉を向けた。救えるものを選ぶことと、すべてを救おうとすることは違う。
週、会社から私へ懲戒処分の通が届いた。理由は、業務データへのアクセスを遮断して製造を混乱させ、取引先である駅ビルの信用を損なったこと。の勤止とかれていた。
私は弁護士と労働相談員へ通を見せた。個領域で管理させてきた経緯、共リンクを止めるのやり取り、会社側が正式な管理方法を用しなかった事実を理して反論した。ただし、私の対応にも業務への響はあり、何をしても正当化されるわけではない。話しいの結果、私は会社データに該当する過の献表を読み取り専用で引き渡し、会社は懲戒理由から「データの正占」という表現を削除した。
それでも、兄との雇用関係を続けることは難しかった。
広告
私はかの退職を申した。未払い賃については、直の客観記録をに請求し、それ以は証拠のさに応じて交渉することにした。
兄は「逃げるのか」と言った。
「辞めるのと逃げるのは違う。引き継ぐべき仕事は引き継ぐ」
私は介護施設向けの形態、アレルギー対応、仕入れ先ごとの発注期限を文にした。、私ののにしかなかった仕事だった。引継を作るほど、自分がいかに「代わりの利く伝い」ではなかったかが見えた。
駅ビル側は、虚偽の経歴と承諾の問題が解決するまで契約の締結を見送った。まだ本契約の内定段階だったため、巨額の違約が直ちに発するという兄の説も正確ではなかった。設計準備費など会社がすでに支した分は戻らない能性があるが、それは兄が確認にめた経営判断だった。
補助事務局には、会社が申請を取りげた。兄は親戚へ、私が役所へ密告して舗を潰したと言い回った。叔父から話があり、「父親がきているうちくらい、兄をてられないのか」と叱られた。
私は承諾のことを説しようとしたが、叔父は「族なら印鑑くらい」と言った。その瞬、理解してもらうことを諦めた。「叔父さんがそううのは自由です。でも、私は自分の名を自分で使います」
と答えて話を切った。
退職すぐにをく資はなかった。