"この家は俺のものだ" 第1話
昭233。
信州のあいにあるさな温泉町では、かったがようやく終わろうとしていた。端にはまだ黒ずんだが残っていたが、昼になると根から解けが絶えなく落ち、軒の桶を細かな音で叩いていた。
町のれに、旅館「松乃」があった。
戸の終わり頃から続いてきた古い旅籠を、しずつ直ししながら使ってきた宿だった。玄関を入ると煤けた太い梁がを横切り、磨き込まれた板のの奥に帳がある。2階には6畳と8畳の客がわせて9あり、廊を歩けば古い板がさく軋んだ。
戦争には都会から疎してきた母子を泊めた。
終戦は、荷物を背負った商や、故郷へ帰る途の復員兵たちがい宿代で夜をかした。米も炭も分ではなく、布団も畳も古かったが、主の松吉はのない客を簡単には追い返さなかった。
「晩くらいなら何とかなる」
そう言って、自分たちの事をし減らしてでも客に噌汁をす男だった。
その松吉が、68歳でくなった。
数から体を悪くしていたものの、帳に座れなくなるまでは毎のように旅館の様子を見ていた。くなるしにも、男の正へ同じことを繰り返していた。
「このだけは絶やすな」
松吉にとって「」とは、族がむ建物だけではなかった。
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松乃という名そのものだった。
玄関の板も、湯治客が何も使った客も、裏の畑も、先祖の位牌が並ぶ仏も、全部わせて「」だった。
葬儀の、奥の座敷には親戚たちが集まっていた。
正は父の位牌のに座り、黙って線の煙を見つめていた。
45歳。
若い頃から松乃を伝い、戦争から戻ってからは、父と2で傷んだ旅館をて直してきた。
正は、本当なら町をるつもりだった。
若い頃、鉄関係の仕事に憧れていた。
駅で働くりいから、「を探している」という話まで聞いていた。汽の音を聞くたび、いつか自分もこのをて働くのだと考えていた期があった。
だが松吉は許さなかった。
「おは男だ」
それだけだった。
「松乃は誰が継ぐ」
正は反発したこともあった。
「俺にだってやりたいことがある」
しかし父は首を横に振った。
「には順番がある」
結局、正は残った。
その、戦争へき、きて戻った。
帰ってみれば旅館は疲れ切っていた。
根は傷み、漏りがする部があった。畳は擦り切れ、戦の物で直せない所がいくつも残っていた。父が抱えた借もあった。
正は朝から晩まで働いた。
根にり、自分で瓦を直した。
客がないはへ薪を取りにき、米がりないには、自分の茶碗に盛る飯を減らした。
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父が寝込むようになってからは、夜に何度も起きた。
薬をませ、体を起こし、便所まで支えた。
正には妻の千代がいた。
千代もまた、嫁いで以来、松乃を休みなく支えていた。
そんな正には、妹が2いた。
38歳の文と、32歳の清子。
2ともすでに結婚してをていた。
文は県内の別の町へ嫁ぎ、清子は隣県の噌へ嫁いでいた。
母はすでにくなっていたため、松吉がんだことで、3兄妹は完全に親を失ったことになる。
葬儀が終わり、夕方になった。
方から来た親戚がしずつ帰り、座敷に残る数も減っていた。
その、叔父の1が湯呑みを置きながら言った。
「これで正が正式に松乃を継ぐわけだな」
誰も驚かなかった。
むしろ当然の確認のような言葉だった。
正も静かに頷いた。
「親父もそのつもりでした」
そのだった。
座敷の端に座っていた文が顔をげた。
「そのつもりって?」
正は妹を見た。
「何がだ」
「父さんが、何をそのつもりだったの?」
正はし眉を寄せた。
「決まってるだろう。このも旅館も、俺が継ぐ」
誰かがさく咳払いをした。
正は続けた。
「おたちは、もう嫁にっただ」
座敷が急に静かになった。
炭のはぜる音まで聞こえた。
文は兄の顔を見たまま、何も言わなかった。
親戚たちも誰、正を止めなかった。
なくとも、そのにいる者にとっては、それまでなら珍しい話ではなかったからだ。
男がを継ぐ。
嫁いだ娘は夫ののになる。