みかん小説
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"十三足目の黒い靴" 第8話

?」

郎が聞を折りたたみ、興そうに眉をげた。

「ええ。靴を履いて、どこか赤いをずっと歩いている。……宗郎さん、私、のギャラリーにいたの。お父様が昔、私に譲ってくれたあの画廊に」

郎の箸を持つが、ほんのコンマ数秒、ピタリと止まった。

彼が私に与えてきた暗示は「夜の無識な徘徊」だ。だが、その徘徊のき先が「」であることまで私が具体にしたのは、これが初めてだった。

「……そうかい。にまでてくるとは、相当気に病んでいるんだね。でも美咲、あのギャラリーは君のお父様がくなってからずっと閉鎖されている。君がけるような所じゃないよ」

「そうよね。でも、すごくリアルだったの。靴底に赤いがべったりついていて……朝起きたら、自分のがすごくじて」

私は自分の両をじっと見つめ、し怯えたような仕を作ってみせた。

「宗郎さん……私、本当におかしくなっているのかもしれない。あなたが言った通り、らないうちにているのかもしれないわ。……恐ろしいの。このまま私、何も分からなくなってしまうんじゃないかって」

郎の瞳に、かすかな歓が宿るのを私は見逃さなかった。 彼にとって、私が自分自の正気を疑い、恐怖し、彼に縋り付いてくることこそが最のアペタイザー(菜)なのだ。

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丈夫だよ、美咲」

郎はがり、私の背に回ると、おしそうに私の肩を抱きしめた。

「君がどれだけ壊れても、僕が君の記憶になる。君の代わりに、すべてを管理してあげるから。……だから、余計な配はせず、僕にすべてを委ねなさい」

「ええ……ありがとう、宗郎さん」

私は彼の腕ので、さく頷いた。 彼が満そうに席に戻り、噌汁にをつけた瞬——私はで静かに秒数をカウントし始めた。

……)

「……ん?」

郎が眉をひそめ、噌汁のお椀を見つめた。

「どうしたの、宗郎さん?」

「いや……し、が濃いような気がする。塩気がいというか……いつもと汁を変えたかい?」

「え? そんなはずはないわ。いつもの昆布と鰹節よ」

私は議そうに首を傾げてみせた。

当然だ。汁は何も変えていない。 変えたのは、彼の湯呑みに入れたお茶の成分だ。

昨夜、斎の資料を読んだ私は、宗郎が私に投与していた微量成分の正体を突き止めていた。それは般の薬局でもに入る特定のミネラルサプリメントの過剰摂取と、覚をに麻痺させる特定のハーブの抽液だった。

私は今朝、まったく同じハーブの抽液を、宗郎の朝のお茶にほんの数滴混ぜておいたのだ。

毒ではない。体に害のない、ただ覚の閾値を狂わせるだけのハーブ。

「そうか……僕の気のせいかもしれないな」

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郎は審そうな顔をしながらも、自分の体調のせいだと納得しようとした。 いつも「完璧で、狂いがない」のは自分であり、狂っているのは常に妻であるという傲さが、彼に自分の体の異変を疑わせないのだ。

「宗郎さん、今はお仕事の、どちらへ?」

「ああ、今は夕方からのクライアントと会だ。帰りはし遅くなるかもしれない」

「そう……気をつけてね。私、また変なを見ないように、お昼にお掃除でもしておこうかしら。靴箱の掃除とか」

その言葉を聞いた瞬、宗郎の目奥に瞬だけ、鋭い警戒のった。

「靴箱かい? いや、そこは僕が週末にやるから、君は触らなくていい。いものをかして、また倒れでもしたら変だ」

「そう? でも、の段に……」

「美咲」

郎の声のトーンが、くなった。

「僕の言うことを聞きなさい。君は静かに休んでいるのが仕事だ」

「……分かったわ。ごめんなさい」

私はしおらしく首を垂れた。

郎は納得したように頷き、カバンをにして玄関へと向かった。 彼がドアをけ、へ踏みした瞬——私は彼の背に向けて、甘く、毒を含んだ声をかけた。

「宗郎さん。今の靴、とても素敵ね。……の赤、汚さないように気をつけてね」

郎のが、ピタリと止まった。

彼が振り返った、私の顔には完璧に無で、病な妻の虚ろな笑みが張り付いていた。

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