"博士になった息子を「返せ」と言われた夜" 第1話
「、本当におめでとう。これでがから博士がたわけだ」
親戚のが声を張りげると、広い居のあちこちから拍が湧き起こった。央につは照れたようにをげ、にした博士号記を胸元へ引き寄せた。
アメリカの学院で命科学を学び、歳という若さで博士号を取得したばかりだった。帰国したのは3で、今夜は親戚や会社関係者を招いたささやかな祝賀会がかれていた。
もっとも、ひよりにとっては決して「ささやか」と呼べる準備ではなかった。朝から煮物を作り、の好物である鯛の昆布締めを仕込み、揚げ物は客が揃ってからせるようごしらえを済ませた。親戚が到着するたびに玄関へり、笑顔でをげ、空いた皿があればすぐに取り替えた。
疲れていないと言えば嘘になる。それでも議と体は軽かった。
が笑っている。
それだけで、以の苦労が報われた気がした。
「母さん、し座ったら?」
客のを縫ってが台所へ入ってきた。背がくなった息子を見げるたび、ひよりは今でも議な気持ちになる。片腕に収まるほどさかった赤ん坊が、今では自分を気遣う青になっている。
「まだぷらが残っているの。皆さんが帰ってから、ゆっくり座るわ」
「朝からずっといているだろう。
広告
帰国したより痩せて見えるよ」
「それはがきくなりすぎたから、私がさく見えるだけ」
冗談を言うと、は困ったように笑った。それからひよりのから菜箸を取り、揚がったばかりのぷらを皿へ並べ始めた。
「博士にそんなことをさせられないわ」
「博士号を取っても、ぷらくらい運べるよ。それに今は、母さんにも祝ってもらうじゃなくて、緒に祝ってもらうだから」
は昔からそういう子だった。自分が褒められるほど、そばにいるの苦労を忘れまいとした。
その性格がまれつきのものなのか、育て方によるものなのか、ひよりには分からない。ただ、がの痛みを像できるに育ってくれたことを、何より誇りにっていた。
、夫の正が赤ん坊を連れて帰ってきたのことを、ひよりは今でも鮮に覚えている。
そのは2とはえないほど激しいがっていた。夜の11を過ぎた頃、玄関の戸を乱暴にけた正は、濡れた毛布に包まれた赤ん坊を抱えていた。
「りいの女が置いていった」
正はそれだけ言った。
赤ん坊は顔を真っ赤にして泣いていた。着ている産着は湿り、おむつも替えられていなかった。ひよりが事を尋ねても、正は苛った声で「母親は育てられないそうだ」
広告
と繰り返すばかりだった。
結婚して5、ひよりには子どもができなかった。検査の結果、妊娠しにくい体質だと告げられて以来、正から「女として欠けている」と回しに責められることも増えていた。
だから、目ので泣く赤ん坊を抱いた瞬、疑問より先に「この子を守らなければ」という気持ちが湧いた。
と名づけたのは、ひよりだった。寒いの終わりに来たこの子が、の差しのようなを歩めるようにと願ったのである。
夜泣きが続いたも、正は別で寝ていた。が肺炎で入院したも、仕事を理由に病院へ来なかった。運会、授業参観、受験、留学準備。いつもの隣にいたのは、ひよりだった。
それでもひよりは、正をまないようにしてきた。夫は会社を守るために忙しいのだと、自分に言い聞かせていた。
「母さん、何を考えているの?」
に呼ばれ、ひよりはに返った。
「あなたが赤ちゃんだった頃をいしていたの。抱いていないとすぐに泣く子だったわ」
「その話、親戚のではやめてくれよ」
「博士になっても、都の悪いことは隠したいのね」
が笑っていると、居の方から玄関の扉がく音がした。
「正さんが帰ってきたみたい」
ひよりはエプロンでを拭き、廊へた。予定より1以遅い帰宅だったが、夫は連絡さえ寄こしていなかった。
玄関につ正の隣には、の女がいた。
代半ばほどだろう。艶のあるのワンピースに、真珠の首飾りをわせている。