"母のいない写真" 第5話
ひとつは、見慣れた父の、々しく力い署名と実印。 そしてもうひとつは、細くかすれた、母・子の署名だった。ただし、そこには「佐伯子」ではなく、母の旧姓である「佐藤子」と記されていた。
「父さんは……っていたんだ」
直の声が、誰もいない斎にく響いた。
父は、母がどこへき、どうやって暮らしているのかを、最初から完全に把握していたのだ。警察に捜索願をさなかったのは、「妻を配していなかったから」でも「り狂っていたから」でもない。母と交わしたこのたい契約があったからだ。
それにもかかわらず、父は直に対して、そして親戚や所のに対して、ずっと同じ嘘を吐き続けていた。
「あの女は勝に男を作っててった」 「庭を捨てた淫乱な女だ」
父にとって、妻に事労働やそのものをボイコットされ、もの歳をかけて完璧に捨てられたという事実は、耐え難いプライドの崩壊をしていたのだろう。だからこそ父は、「妻がの男に狂って逃げた」という物語を捏造したのだ。被害者を装う方が、見捨てられたれな男を演じる方が、己の無能と酷さを突きつけられるより遥かにマシだったからだ。
父は、母が自分を切り抜いたあのアルバムを押し入れの奥に隠し持ちながら、表面は「れで気丈な被害者」
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としてき続けた。
直は、のの誓約をく握りしめた。がしわくちゃに歪む音がした。 父の徹底した自己保と、それに加担していた自分の無さが、吐き気をもよおすほどのとなって胃のあたりを突きげた。
「N……隣町じゃないか」
消印に押された「N」は、実からで分ほどれた、かつて紡績で栄えた古い町だった。
翌朝、直は実の隣にむふみ(78)のを訪ねた。
のおばさんは、昔からこの域の「顔役」のようなで、所の噂話には何でも通じていた。直が母・子の名をにすると、おばさんは瞬だけ困惑したような表を浮かべ、すぐに声を潜めた。
「直ちゃん、急にどうしたの……文雄さんの葬式が終わったばかりなのに」
「おばさん、正直に教えてほしいんです。、母さんがてったときのこと……父さんは所にどう説していたんですか?」
のおばさんは、湯みの茶をすすり、い目をした。
「文雄さんはね……そりゃあ酷い荒れようだったよ。『子が男と駆け落ちした』って、鳴り散らしていたわ。相は入りのセールスマンだとか、昔の男だとか、コロコロ話が変わっていたけれどね。でもね、直ちゃん……所のは誰も、文雄さんの話を本気にしてはいなかったのよ」
「……え?」
直はわず目を見いた。
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「だって、子さんがどんなに静かで、真面目なだったか、周りはみんなっていたから。朝から晩まで事をし、庭の掃除をし、文雄さんの嫌を伺って……男どころか、で買い物にく姿だってめったに見かけなかったんだから。ただね……」
おばさんは言葉を切り、申し訳なさそうに直の顔を見た。
「誰も文雄さんに逆らえなかったのよ。文雄さんは役所の助役で、このあたりの自治会の仕切り役でもあったでしょう? 『あのに触れるな』っていう雰囲気を文雄さん自がしていたの。だからみんな、噂話をわせるしかなかったの。『かわいそうな文雄さん』って持ちげておくのが、番全だったのよ」
おばさんはため息をつき、膝ののぬぐいを固く絞った。
「でもね、子さんがいなくなる週、私、子さんからさな鉢植えをもらったの。『お世話になりました。これ、がってくださいね』って。そのの子さんの顔、すごくれやかだった。男と逃げるようなの顔じゃなかったわ。あれは……何かから解放されたの顔だった」
直は言葉を失った。
所の々もまた、うすうす気づいていたのだ。母が「駆け落ち」したのではなく、あのから逃げしたのだということに。しかし、父の権力と世体という暴力のに、誰もが沈黙を選んだ。
そして直自もまた、京の学で能気にキャンパスライフを送りながら、父から送られてくる仕送りを受け取り、「母は自分を捨てて男と逃げた勝なだ」