"夫から届いた23年分の請求書" 第7話
歳まで洗剤の量もらなかったことへ、私は隆司だけを責められなかった。失敗させるより自分でやる方がいと、息子の担当を奪ってきたのは私だった。
ある曜の朝、が度を超えた。以なら解剤をみ、朝と弁当を作ってから横になっただろう。私は病院へ欠勤連絡をし、隆司と悠斗へ、自分の事と事はできないと伝えた。
隆司は勤におかゆを作ろうとしたが、米との量が分からず、スマートフォンで調べた。悠斗はごみをし、帰りにみ物を買った。
夕方、台所はし散らかっていた。洗濯物は畳まれず、夕は凍うどんだった。それでもは壊れなかった。
私は、事をせず眠った。
目、ががると、隆司が言った。
「君が寝ているだけで、ので次に何をすればいいか分からなかった」
「今まで、分かる必がなかったからね」
「それを、君が得だから任せていたとっていた」
「私も、任されている方が必とされている気がした」
事を押しつけられた被害だけでは説できない。私は族の好みも予定も番るであることに、自分の居所を作っていた。働き始め、事を放すことが怖かった部分もある。
職へ復帰すると、受付の同僚が無理をしないよう声をかけた。私は、にいるが何とかしたと答えた。
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その言葉をにすると、肩の力が抜けた。
か、病院から正職員登用試験の案内がた。勤務は午半までになり、回の曜勤もある。与と社会保険は定するが、今の事分担では調が必だった。
私は応募に、隆司と悠斗へ相談した。ただし許を求めるのではなく、勤務が変わった、庭で何を変える必があるか話した。
隆司は曜の事と買い物を担当できると言った。悠斗は引っ越し、自分の分がなくなるため、事は減るはずだと答えた。
「受けたいなら受ければいい」
隆司の言葉に、以ならから許されたようにじただろう。今回は、「私が決める。ただ協力してほしい」と言い直した。
試験には度落ちた。パソコン入力は問題なかったが、医療保険制度の記点がりなかった。隆司は、契約職員でも分ではないかと言いかけ、を閉じた。
私は半の再試験を受けると決めた。族のためでも、夫に認めさせるためでもない。自分が続けたいとったからだった。
勉を作るため、私は曜の昼作りをやめた。隆司は簡単な物でいいから作ってほしいと言ったが、「簡単なら自分でできる」と返すと、最初の週は凍炒飯を買った。
翌週から、隆司は麺をゆでるようになった。週目には料理本を見ながら焼きそばを作った。
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は濃かったが、私は黙ってせず、次はソースをし減らしてほしいと伝えた。
事を任せるとは、相のやり方を何でも褒めることでも、失敗を全部することでもない。べる側として希望を言い、作る側が次を決める。そのやり取りも、ほとんどなかった。
試験、隆司は「落ちても今の仕事がある」と言った。私は「受かりたいから、今は落ちてもいいと言わないで」と頼んだ。夫はし考え、「分かった。は受かるつもりでってこい」と答えた。
応援してほしい形を、相が察するまで待たずに言う。頼むことも、私が族ので覚え直したことだった。
試験会へ向かう朝、私は自分で朝を用し、参考だけを持ってをた。隆司は玄関まで来たが、忘れ物やのを確認しなかった。「ってらっしゃい」と言われ、私はようやく、応援と管理は違うのだとえた。
悠斗がをる、私は凍した料理を持たせなかった。簡単な献をついたと、使い慣れた弁当箱だけ渡した。
「は自分で入れて」
「空の弁当箱を引っ越し祝いにする親、初めて見た」
悠斗は笑った。
引っ越し費用として貸した万円は、毎万円ずつ返す約束だった。初、の購入がなり、返済が難しいと本から連絡が来た。
私は、翌へ延ばすか、千円に減らすか選ぶよう伝えた。
隆司は、万円くらい贈ったことにすればいいと言ったが、悠斗は千円払った。