"預けた通帳が消えた日" 第3話
仕入れ業者と値段の交渉もした。客から苦がれば、逃げずにをげた。
その自分が今は、嫁に万円を頼むだけで声が震えている。
族を壊したくない。
息子に嫌われたくない。
そのいが、静から言葉を奪っていた。
同居からか、健が枚の類を持ち帰った。
「母さん。会社でしい事業を始めることになったんだ」
テーブルに置かれたのは、融資申込だった。
「億円の融資を受けたい。担保が必なんだ」
「億円?」
「このマンションと、藤沢のを担保に入れさせてほしい」
静は類を見つめた。
マンションは、夫が残してくれたと自分の貯で買った。藤沢のは、夫とを築いた所だ。
どちらも失えば、静には何も残らない。
「申し訳ないけれど、それはできないわ」
美の表から笑みが消えた。
「どうせ将来、健さんが相続するんですよ」
「私はまだきているのよ」
静のから、わず言葉がこぼれた。
美は瞬目を細めた。
「族なら、助けうのが当然でしょう?」
「助けうことと、私の全財産を担保にすることは違うわ」
静が初めて拒絶すると、翌からの空気が変した。
卓に静の茶碗が並ばなくなった。
洗濯物を別にされた。
話しかけても返事がない。
蔵庫には級な肉や果物が並んでいるのに、静がべてよいものは、古いパンと萎びた野菜だけだった。
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そしてある夜、静は廊でを止めた。
リビングから、美の声が聞こえた。
「いつまであのと暮らさなきゃいけないの?」
「もうししてくれ」
健の声だった。
「く追いせないかしら」
「だから、方法を考えるって言ってるだろ」
静はを押さえた。
自分を守ってくれるはずだった息子が、妻と緒に、自分を追いす相談をしている。
音をてないよう自へ戻ると、静は夫の写真を胸に抱いて泣いた。
だが、本当の恐怖はそのに待っていた。
数、寝たふりをしていた静のに、半きの扉の向こうから美の声が届いた。
「通帳の残り、あといくら?」
「預だけなら、まだ千百万くらい」
「じゃあ、それを移してからでいいわね」
「何を?」
「施設よ。認症が始まったことにすれば、本が嫌がっても入れられるでしょう」
い沈黙の、健が答えた。
「……そうだな」
静は布団ので、目をけた。
臓が鐘のように鳴っていた。
あのは、を使い切った、自分を施設へ入れるつもりなのだ。
しかも、認症という嘘をついて。
その瞬、静ので、母親として息子を信じようとする最の糸が切れた。
午を過ぎても、静は眠れなかった。
このままここにいれば、貯も、も、名さえ奪われるかもしれない。
美は、静が物忘れをするようになったと周囲へ話している。
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健まで同じ証言をすれば、何が起きるか分からない。
静は着を羽織った。
さなバッグに財布と分証、き夫の写真を入れる。通帳も印鑑も元にはない。
それでも、今夜だけはへなければならなかった。
物音をてないよう玄関をけた。
たい夜が頬に触れた、静は初めて自分が囚われていたことに気づいた。
始発を待ち、藤沢へ向かった。
窓のがしずつるくなる。京の建物がざかり、見慣れたのがづいてくるにつれ、静の胸の奥で止まっていたがき始めた。
藤沢駅をりると、潮と魚の匂いがした。
懐かしい匂いだった。
の裏へ入ると、古い建物が見えた。借りがを畳んで以来、シャッターはりたままだった。
そのに、「しず商」の板が残っている。
夫の字だった。
静は板のにち、震えるでの表面に触れた。
「あなた」
夫の顔が目に浮かんだ。
「私、何をしていたのかしら」
息子の幸せを願うことと、息子にをけ渡すことは違う。
族を信じることと、自分を守る権利を捨てることも違う。
そんな当たりのことを、静は忘れていた。
そのにしゃがみ込み、声をげて泣いた。
通りにはない。くではのトラックがき始めていた。
どれほど泣いたのか分からない。
やがて涙が止まると、静はゆっくりちがった。
板を見げ、く息を吸う。
「もう泣かない」
声はかすれていた。