"預けた通帳が消えた日" 第1話
「術のおが必なの。預けてある通帳を返してもらえないかしら」
田静がそう切りした途端、リビングを満たしていた空気がたく変わった。
窓のには京の夜景が広がっている。けれど、歳の静には、無数の灯りのつつが自分を拒むたい目のように見えた。
向かいのソファに座っていた嫁の美は、にしていたスマートフォンからゆっくり顔をげた。
「お母さん、私たちにおなんて預けましたっけ?」
その元には、い笑みが浮かんでいた。
「何を言っているの。の通帳も、貯の通帳も、計をまとめて管理するからって、美さんが……」
「では、証拠はありますか?」
「証拠?」
静は息をのんだ。
まさか、同じに暮らす族からそんな言葉を聞くとはわなかった。
「族におを預けるのに、受領なんて作っていないわ。でも健も見ていたでしょう?」
静は、隣に座る息子へ目を向けた。
田健、歳。
静が夫をくしたも、たったで働き続け、学までした息子だった。をした夜には晩そばに座り、受験のにはまだ暗いうちから弁当を作った。
その息子が今、母親と目をわせようとせず、の点を見つめている。
「健。あなたからも言ってちょうだい」
静が訴えると、健はしばらく黙った末、い声で言った。
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「母さん、俺はらないよ」
「……え?」
「の管理は美に任せていたから。俺に聞かれても分からない」
胸の奥で、何かが音をてて崩れた。
静の膝から力が抜けた。テーブルにをつかなければ、そのに倒れていたかもしれない。
「あなたまで、何を言っているの」
涙が粒、また粒と頬を伝った。
美はちがろうともしなかった。ただ、のない目で静を見ろしている。
「お母さん、最、物忘れが増えたんじゃありませんか?」
「違う。私は、ちゃんと覚えている」
「そうい込んでいるだけかもしれませんよ」
「違うわ」
静の声は、鳴にかった。
「私のおよ。あなたたちを信じて預けたの。来、膝の術を受けるために必なのよ」
美はさく肩をすくめた。
「でしたら、ご自分で用してください。私たちは受け取っていませんから」
健は最まで顔をげなかった。
その夜、静は自のベッドに座り、き夫の写真を胸に抱いた。
写真のの夫は、藤沢の魚を背景に笑っている。焼けした顔に、い歯が見えていた。
――族を信じろ。健を頼れ。
夫ならきっと、そう言っただろう。
静も、つい数かまでは同じことを信じていた。
だが今は違う。
息子夫婦は、静の通帳を持っている。
そこには、夫とかけて貯めたが入っていた。朝のからへ通い、凍えるで魚を洗い、腫れた指に絆創膏を巻きながら守ってきただった。
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それを、は「受け取っていない」と言った。
翌朝、さらに恐ろしいことが起きた。
静が目を覚ますと、自の机に置いていた印鑑箱がなくなっていたのである。
静は歳の、夫の信とさな鮮魚を始めた。
藤沢の古いの裏にある、ほどのだった。板には、信のきで「しず商」と記されていた。
本当は「田鮮魚」にする予定だった。
だが夜、信が笑いながら言ったのだ。
「客は俺の顔より、静の笑顔を覚える。だからの名も静でいい」
は決してきくなかった。それでもは誠実に働いた。
静は夜けにをけ、信はで魚を仕入れた。夕方には売れ残った鯵を蛮漬けにし、所の暮らしの老へ届けることもあった。
息子の健がまれてからは、の奥に籠を置いた。赤ん坊が泣けば、静が魚を包みながらで籠を揺らした。
「母さん、魚臭い」
学になった健は、友達ので恥ずかしそうに言うことがあった。
静はし傷つきながらも笑った。
「魚の息子なんだから、仕方ないでしょう」
健には、を継がせたくなかった。
好きなを選んでほしかった。魚の匂いが染みついたエプロンをつけ、のにを入れる苦労を、息子にまで背負わせたくなかった。
だから静と信は働いた。
塾代も、学の学費も、京での暮らしの費用もした。