"病院へ行かない黒い車" 第1話
「由美子さん、健が交通事故に遭ったの。危篤よ。すぐ病院へ向かいなさい!」
昼がりの静かな卓に、義母・子の鳴が響いた。スマートフォンを握っていた私の指から力が抜け、片づけようとしていた布巾がへ落ちた。
「健さんが……? どこの病院ですか?」
「内の央総病院よ。もうのにを向かわせたから、すぐ乗って。急がないとにわないわよ!」
それだけ告げると、子は私の返事も待たずに話を切った。元には無質な子音だけが残り、「危篤」という2文字が何度もので反響した。
夫の健とは、今で結婚25になる。1娘のが県の学へ学してから、夫婦の会話は目に見えて減っていた。健は仕事を理由に帰宅が遅くなり、休もかけることが増えていた。
それでも、の半分をともに過ごしてきた夫である。がれ、たい空気だけが残った夫婦であっても、命が危ないと聞けば平静ではいられなかった。
私は部着にいブラウスとスラックスのまま、財布とスマートフォンを鞄へ押し込んだ。靴を履こうとしても指が震え、かかとがなかなか入らない。
玄関の扉をけると、子の言葉どおり黒塗りのハイヤーがまっていた。静かな宅には釣りいなほど磨きげられた体が、曇った空を鈍く映している。
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私がづくと、い袋をした初老の運転が無言で部座席の扉をけた。
「央総病院までお願いします。夫が事故に遭ったんです。できるだけ急いでください」
「承いたしました」
運転はい声で答え、ゆっくりを発させた。私は座席ので両を握りわせ、健の無事を祈った。
どこで事故に遭ったのだろう。だったのか、それとも仕事にを横断していて巻き込まれたのか。子は何も説してくれなかった。
考えてみれば、妙な話だった。子は結婚当初から私を嫌っており、私のためにわざわざハイヤーを配するようなではない。
私たち夫婦は子と別居していたが、彼女は健に頼んで作らせた鍵を持っていた。私が1でいるでも断りなくへ入り、蔵庫や収納をけては、事のやり方に文句をつけた。
「噌汁がすぎるわ。健の健康を何だとっているの」
「掃除くらい毎やりなさい。嫁なのに恥ずかしいでしょう」
反論すれば、健から「母さんをらせるな」と責められた。が幼い頃は娘を守るために耐えたが、がをたも、私は習慣のように黙り続けていた。
は通りへると、へ曲がった。私は窓のを見て、かすかな違を覚えた。
「運転さん、病院はの方向ではありませんか?」
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「が混雑しておりますので、迂回いたします」
確かに主は混雑する帯だった。私は自分を納得させ、再び座席へ背を預けた。
しかし、はをれ、見慣れない郊へ向かってり続けた。脇の建物は次第になくなり、窓のには田畑といが広がり始めた。
私はスマートフォンで現を確認しようとした。だが図が表示されるに、画面の波表示が1本になり、やがて圏へ変わった。
「おかしいです。これは病院へ向かうではありません。今すぐを止めてください」
運転は答えなかった。ルームミラーに映った目は方だけを見つめ、ハンドルを握るい袋もかない。
「聞こえていますよね? 夫が危篤なんです。私は央総病院へかなければならないんです!」
く言っても、は速度を落とさなかった。には々が迫り、は細く曲がりくねったへ変わっていく。
恐怖が、夫への配をしずつ回り始めた。ドアの取っを引いたが、ロックされていてかない。
やがては、の奥にある古びた建物ので止まった。褪せた板には、かつて温泉宿だったらしい名が残されている。窓には板が打ちつけられ、周囲にの気配はなかった。
「到着いたしました」
「ここは病院ではありません。所を違えています」
「違えておりません」
運転がエンジンを切った。私はの座席へを乗りし、声を震わせながら問い詰めた。