"ハワイへ行った夫の離婚届" 第1話
私の名は佐伯美、35歳。夫の直とは結婚して3になる。
結婚の1は2でさな賃貸マンションに暮らしていたが、籍を入れたのをに、直の実へ移ることになった。理由は単純で、実からなら直の勤務先までで20分ほどしかかからず、さらに暮らしをしていた義父・利さんも「が広すぎて寂しい」と言っていたからだった。
当72歳だった義父は数こそなかったものの、気難しいではなかった。嫁である私に必以に干渉することもなく、夕を作れば「うまいな」とさく笑い、私が仕事で遅くなったは自分で簡単な物をべて待っていてくれた。
私も結婚しばらくは、以から勤めていた事務の仕事を続けていた。
活がきく変わったのは、その約1半のことだった。
最初は本当に些細な違だった。義父が同じ話を何度もしたり、蔵庫へ財布を入れたり、朝なのに「夕飯はまだか」と聞いたりすることが増えたのである。齢のせいかとっていたが、ある、で所のスーパーへかけたまま帰りが分からなくなり、顔見りの所のに連れられて戻ってきた。
そのの義父は、自宅のにっても、しばらく「ここは誰のだ」とそうにしていた。
病院で検査を受けた結果、アルツハイマー型認症と診断された。
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その、半ほどで症状はさらにみ、介護認定では介護3となった。によって状態に波はあったが、薬の管理や入浴、着替え、排泄の見守りが必になり、で過ごしてもらうのは難しくなった。
私は仕事を続けながら介護サービスを利用する方法を考えていた。
ところが直は、ケアマネジャーとの最初の相談を終えた夜、私にこう言った。
「父さんを施設には入れたくないんだ」
その顔は、私がそれまでほとんど見たことがないほど真剣だった。
「施設が悪いっていうじゃない。でも父さんは昔からこのが好きだったし、できるなら最までで暮らさせてやりたい。美、頼む。俺も休みのは絶対に伝うから」
私はすぐには返事をしなかった。
嫁いできてまだ2も経っていない私が、実の息子よりも義父の介護を担うことになる。そのさを考えれば、「分かった」と簡単に答えられることではなかった。
「私、お父さんと血がつながっているわけじゃないのよ。それに、入浴やトイレまで必になったら、私では絶対に無理だからね」
「分かってる」
「本当に伝う?」
「当たりだろ」
直は私の目を見てそう約束した。
迷った末に、私は会社を退職した。
義父のためという気持ちもあったし、何より夫がそこまで父親を自宅で介護したいと言うなら、夫婦で支えていけば何とかなるかもしれないとったからだった。
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しかし実際に介護を始めてみると、像していた以にのには危険がかった。
古い戸建てだったため、廊とのには数センチの段差があり、浴もい。トイレにはすりがなく、義父はちがろうとして何度かバランスを崩した。
ある夜、トイレできな音がしたため慌てて向かうと、義父がに座り込んでいた。
幸いきな怪はなかったが、その姿を見た私は翌すぐに直へ相談した。
「このままじゃ危ない。最でもすりと段差解消は必だとう」
ところが直は、見積にかれた額を見て眉をひそめた。
「こんなにかかるのか」
「介護保険の宅改修も使えるって。でも全部が対象になるわけじゃないし、お呂もし直した方がいいって言われた」
「まだ歩けるじゃないか」
「転んで骨折してからじゃ遅いでしょう」
数話しい、最終には廊の段差、浴、トイレをにリフォームすることになった。部は介護保険を利用したものの、それ以の事費については直の名義でローンを組んだ。
私はそれでしした。
なくとも、夫も父親の介護を自分の問題として考えている。
そのは、そう信じていた。
最初の1かほど、直は確かに約束を守っていた。休には義父の着替えを伝い、私が買い物へくは緒にテレビを見てくれたし、夜に義父が起きたも様子を見にってくれた。