"名札を戻せなかった夏" 第9話
澄の目が伏せられた。
「何度も言おうとった。でも言えなかった」
美津子は責めなかった。
「私はに入った」
自分のことを話した。
「ずっと働いて、結婚して、子どもが2いる」
「幸せ?」
突然聞かれ、美津子はし考えた。
「うん」
それは嘘ではなかった。
辛いこともあった。
苦しい期もあった。
けれど夫がいて、子どもがいる。
自分を「お母さん」と呼ぶ族がいる。
その暮らしを否定したくなかった。
澄も同じように頷いた。
「私も」
また沈黙した。
しばらくして、澄が言った。
「返そうか」
美津子は顔をげた。
「何を?」
澄はすぐには答えなかった。
けれど聞かなくても分かっていた。
「名」
美津子は澄を見つめた。
21なら簡単だった。
寺の本堂で糸をほどき、2枚の名札を元に戻せばよかった。
「桐美津子」
「森澄」
それぞれが自分の名札を胸につけ直せば、全て終わった。
けれど今は違う。
21のに、その名にはあまりにもくのものが結びついている。
学。
仕事。
夫。
子ども。
友。
所の。
何より、自分自の記憶。
「返せるとう?」
美津子が静かに聞いた。
澄は答えられなかった。
美津子は自分のを見た。
「私ね、最初はあなたに族をあげたつもりだった」
澄が顔をげた。
「あの、伯母さんに抱かれて泣いてたでしょう」
「……うん」
「あなたには誰もいないってった。私には伯母さんがいるのに、あなたには誰もいない。
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それなら、あげればいいって」
美津子はさく笑った。
「10歳だったから、そんな簡単なことだとってたの」
澄の目に涙が浮かんだ。
「ごめんね」
「違うの」
美津子は首を振った。
「私も、あなたの名に助けられた」
「え?」
「森澄って名なら、誰も私の本当ののことをらなかった。両親がどうなったのか聞かれなくて済んだ。京へ戻らなくても、の自分をらない所できられた」
言葉にして初めて、美津子自もはっきり分かった。
「私は名を取られただけじゃなかったの。私もあなたの名に逃げ込んだんだとう」
澄は唇を噛んだ。
「私も同じ」
伯母の。
学。
結婚。
母親になった自分。
全部、桐美津子という名ので得たものだった。
「私たち、相のを取ったのかな」
澄が言った。
美津子はすぐには答えなかった。
「そうかもしれない」
そして続けた。
「でも、お互いの名に助けられたのも本当だよ」
正しいとも言えない。
違っていたとも言い切れない。
あの2は10歳だった。
戦争によってを失い、族を失い、どこへくのかさえ分からなかった。
そので選んだ答えだった。
再会のが終わり、2は別々の活へ戻ることになった。
21とは違う。
もう、どちらかが誰かに引き取られて消えていくわけではない。
それぞれに帰るがあった。
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待っている族がいた。
別れ際、美津子は先にちがった。
澄もし遅れて席をった。
扉へ向かおうとしただった。
背から声がした。
「ねえ、美津ちゃん」
美津子のが止まった。
21ぶりだった。
誰かの声で、その名を呼ばれたのは。
ではずっと「澄」と呼ばれてきた。
夫も、も、自分を森澄としてっている。
子どもたちにとっては名より先に「お母さん」だった。
「美津ちゃん」
その呼び方だけが、昭19のへ続いていた。
疎列の座席。
胸についたい布。
2で糸をほどいた指先。
「になったら戻そうね」
そう笑った澄の顔。
母親が縫ってくれた名札。
京へ帰れば元通りになるとっていた自分。
記憶が度に押し寄せた。
美津子は振り返らないまま、しばらくっていた。
目から涙がこぼれた。
自分でも驚くほど自然にてきた涙だった。
「なに?」
ようやく振り返った。
澄も泣いていた。
「私たち、違えたのかな」
それは21、2のにあった問いだった。
あの、本当のことを言うべきだったのか。
美津子は伯母と潟へくべきだったのか。
澄は別の所で、森澄としてきるべきだったのか。
もしそうしていたら、どんなになっていたのだろう。
美津子は伯母ので育ち、女学へんだかもしれない。
澄はで働いたかもしれない。
違うと会い、違う族を作ったかもしれない。
けれど、確かめる方法はない。