"五輪を見なかったテレビ屋" 第3話
言った瞬、信夫の表が変わった。
ほんの瞬だった。
ったわけではない。
しそうにも見えた。
何か言おうとしたように唇がいた。
しかし、信夫は言葉をみ込んだ。
「くけ」
「……父ちゃん」
「みんなの邪魔になる。を見てこい」
浩はち尽くした。
父はもうこちらを見なかった。
箱の方へ線を戻している。
浩は乱暴に倉庫の扉を閉めた。
先へ戻ると、々は変わらずテレビへになっていた。
「どこってたんだよ」
友が尋ねた。
「別に」
浩はく答えた。
画面へ目を戻しても、先ほどまでの揚はしれていた。
国競技には世界の選が集まり、本が歓声をげている。
そのすぐろの暗い倉庫で、父だけが1座っている。
浩には、その理由がどうしても分からなかった。
京オリンピックが始まると、本が競技の話題で持ちきりになった。
藤田器にも毎のようにが集まり、学帰りの子どもたちは先のテレビを覗き込み、主婦たちは買い物の途でを止めた。競技の結果をらないまま帰宅する方が難しいほど、町全体がオリンピックに包まれていた。
信夫はいつも通り働いていた。
会式のに倉庫へこもっていたことなどなかったように、テレビを修理し、配達し、客のへアンテナを取り付けにった。
広告
浩も、それ以父に尋ねなかった。
聞いたところで、どうせ答えないとったからだ。
それでもには残った。
なぜ、あのだけ。
なぜ自分のにあれほどを集めながら、自分だけ見なかったのか。
閉会式のも、信夫は先へなかった。
もっともそのは配達の予定があり、夕方までしていたため、浩も特別なを考えなかった。
やがて会は終わった。
商のあちらこちらから聞こえていた歓声も消え、町は普段の活へ戻っていった。
だが本の変化は止まらなかった。
をるは々増えた。
しい宅ができた。
駅には以よりきな建物が建ち、商にもるい板を掲げたが増えていった。
藤田器の仕事も変わった。
黒テレビを買った客が、数にはカラーテレビの値段を聞きに来るようになった。
蔵庫も洗濯も、持っていること自体が珍しかった代から、よりきく便利なものへ買い替える代へ変わり始めていた。
信夫は流に浮かれる男ではなかったが、しい械については誰よりもに勉した。
夜、を閉めたも説を読み、故障した部品を机に並べていた。
「父ちゃん、そんなに働いて何が楽しいの?」
を卒業する頃、浩が聞いたことがある。
信夫はドライバーを握ったまま顔をげた。
広告
「別に楽しいから働いてるわけじゃない」
「じゃあ何で?」
「仕事だからだ」
またそれだった。
「それだけ?」
「それで分だ」
浩は笑ってしまった。
父らしい答えだった。
やがて浩はをた。
父のを継ぐつもりはなかった。
信夫も「継げ」とは度も言わなかった。
「自分で決めろ」
を相談したも、その言だけだった。
をるの朝、浩はしだけ寂しさをじていた。しかし信夫はのシャッターをけながら、「忘れ物するなよ」と言っただけだった。
「もっと何かないの?」
浩が笑って聞くと、信夫は議そうに見た。
「何がだ」
「息子がをるんだぞ」
「帰ってこられない所へくわけじゃないだろ」
浩は苦笑した。
それでも玄関をた、背から信夫の声がした。
「困ったら話しろ」
振り返ると、父はすでにへ戻っていた。
そんなだった。
言葉はない。
だが完全にたいわけではない。
浩も齢をねるにつれて、それくらいは分かるようになった。
結婚して子どもがまれてからは、に何度か実へ帰った。
信夫は孫を抱いてびするような祖父ではなかったが、浩の子どもがへ来ると、壊れたラジオのつまみや使わなくなった部品を見せて遊ばせた。
ある、浩の息子が古い写真を見たがった。
「じいちゃんの子どもの頃の写真ないの?」
信夫のが止まった。
「ない」
「1枚も?」
「ない」
「どうして?」
信夫はしだけ黙った。
「なくなったからだ」
浩はその、父が終戦直に族を失ったことを詳しくらなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
最後の迷子放送
昭和49年、地方都市の駅前にある丸光百貨店では、毎月第1日曜日の午後3時になると、決まって同じ迷子放送が流れていた。 「京ちゃん。京ちゃん。お母さまが1階案内所でお待ちです」 しかし、その名前を呼ばれても、子どもが現れることは一度もなかった。案内所で働き始めたばかりの中村恵子は、不思議に思いながらも、毎月やって来る小柄な婦人の頼みを見つめ続ける。 なぜ彼女は、何年も同じ名前を呼び続けるのか。 そして、放送が最後になると告げられた日、ずっと現れなかった「京ちゃん」が、ついに百貨店へ戻ってくる――。昭和1.6萬字5 8 -
完結第14話
帰れなかった15歳
昭和35年、15歳の佐和子は、弟たちを助けるために集団就職列車へ乗り込んだ。 向かう先は東京。母が持たせてくれた竹皮の握り飯を抱え、佐和子は故郷を後にする。だが上野駅に到着した時、点呼に彼女の姿はなかった。 座席に残されていたのは、食べかけの握り飯だけ。 「怖くなって逃げた」「男と消えた」――小さな町では、心ない噂だけが広がっていく。それでも母だけは、娘が理由もなく姿を消すはずがないと信じ続けた。 それから23年後。 同じ列車に乗っていた同級生のもとへ、一通の封書が届く。 「佐和子は、東京まで来ています」 あの日、少女は本当にどこへ消えたのか。 母が知らなかった23年の真実が、ようやく動き出す。昭和2.1萬字5 8 -
完結第10話
ラジオの涙
昭和26年、東京郊外の小さな家で、父は毎晩8時になると必ず古いラジオの前に座っていた。 家族が眠る時間になっても動かず、静かに放送へ耳を傾ける父の目には、いつも涙が浮かんでいた。 息子は、戦争で失った誰かを思い出しているのだと思っていた。 しかし、父が亡くなった後、押し入れの奥から見つかった一枚の古い紙が、家族の知らなかった過去を明らかにする。 終戦の日、小さなラジオを囲んだ兵士たち。 そこで父が感じた、決して忘れることのできない「ある瞬間」とは――。 一人の父が何十年も胸にしまい続けた、涙の本当の理由が今明かされる。昭和1.4萬字5 129 -
完結第10話
名前のない弁当箱
昭和28年、東京下町の小さな町工場に、毎月決まった日に名前のない弁当箱が届き始めた。 中には手作りの弁当だけ。差出人の名前も、手紙もない。 戦後の苦しい時代、社員たちを支え続けた社長・山本源一郎は、その弁当の送り主を知っているようだった。 しかし、何十年もの間、彼は決してその名前を明かそうとはしなかった。 なぜ誰かは、名乗ることなく弁当を届け続けたのか。 そして、その小さな弁当箱に込められていた、戦後から続く約束とは――。昭和1.5萬字5 140 -
完結第10話
忘れられなかった一つの名前
昭和32年、父・佐藤隆一は、古びた軍服のボタンを何十年も大切にしまっていた。 家族が「もう捨ててもいいのでは」と言っても、父は決して手放そうとしなかった。 しかし、父の死後、そのボタンの裏に刻まれた見知らぬ男の名前が、息子・健一の知らなかった過去を呼び起こす。 なぜ父は、一つの古いボタンを守り続けたのか。 そこには戦争の記憶ではなく、時代を越えて守られた、一人の青年との約束が隠されていた――。昭和1.5萬字5 43 -
完結第10話
忘れられなかった一つの名前
昭和32年、父・佐藤隆一は、古びた軍服のボタンを何十年も大切にしまっていた。 家族が「もう捨ててもいいのでは」と言っても、父は決して手放そうとしなかった。 しかし、父の死後、そのボタンの裏に刻まれた見知らぬ男の名前が、息子・健一の知らなかった過去を呼び起こす。 なぜ父は、一つの古いボタンを守り続けたのか。 そこには戦争の記憶ではなく、時代を越えて守られた、一人の青年との約束が隠されていた――。昭和1.5萬字5 368 -
完結第10話
焼け跡の花束
昭和22年、焼け跡が残る東京の街角で、毎朝誰にも知られず置かれる小さな花束があった。 野に咲く数本の花を、まだ幼い少年が古いレンガ壁の前にそっと置いていたのだ。 戦争で両親を失った少年を救ったのは、すべてを失いながらも一切れのパンを分けてくれた一人の女性だった。 それから何十年もの間、少年が守り続けた約束。 なぜ彼は、誰もいない焼け跡へ毎朝花を届け続けたのか。 戦後の混乱の中で生まれた、小さな優しさと忘れられない「ありがとう」の物語――。昭和1.5萬字5 1220 -
完結第11話
手書きの時刻表
昭和45年、山あいの小さな駅で、1人の駅員が30年以上大切に続けていた習慣があった。 田村修一が毎月作る手書きの時刻表には、列車の時間だけではなく、利用者一人ひとりの暮らしや小さな約束が記されていた。 若い駅員には古い習慣に見えたそのノート。しかし、雪の日に病院へ向かう老人を救った時、彼は初めて気づく。 それは単なる時刻表ではなく、町の人々の人生をつなぐ大切な記録だった。 やがて田村の定年の日、古いノートの中から見つかった一つの名前が、若い駅員の心を揺さぶる――。昭和1.6萬字5 786 -
完結第11話
最後の上映会
昭和49年、40年以上続いた小さな映画館「銀星座」が閉館した。 最後の上映を終え、静かに幕を閉じたはずの映画館に、翌週から毎週1本の古いフィルムが届き始める。 添えられていた紙には、ただ一言。 「今週も上映してください」 不思議に思いながら映写機を回した館主・山下清治が見たのは、映画ではなかった。 そこに映っていたのは、かつてこの町で暮らした人々の笑顔、失われた風景、そして誰も忘れていた大切な時間だった。 送り主はいったい誰なのか。 なぜ閉館した映画館へ、毎週フィルムを届けるのか。 一本の古い映像が、昭和の町に残された記憶を静かに呼び起こしていく――。昭和1.6萬字5 176 -
完結第10話
母が着続けた一枚の着物
昭和45年,母は20年以上もの間、同じ古い着物を着続けていた。 娘の美紀は、そんな母の姿をずっと「貧しいから我慢しているだけ」だと思っていた。正月も、結婚式の日も、新しい着物を選ばず、何度も直した一枚を大切にしていた母。 しかし、母が亡くなった後、古い着物の内側から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった過去を呼び起こす。 なぜ母は、その着物を何十年も手放さなかったのか。 そこには、戦後の苦しい時代を生きた女性たちの、忘れられない約束が隠されていた――。昭和1.5萬字5 1745