"消された母の名前" 第1話
母が初めて私を「直子」と呼んだのは、父の回忌を終えた夜だった。
「お母さん、私は里美よ」
里美が聞き返すと、79歳の母・清子は、仏壇のに座ったまま振り向かなかった。線の煙の向こうで、き夫の遺ではなく、その隣に置かれた古い族写真を見つめていた。
「分かってる。だから言ってるの」
清子はい声で答えた。
「直子、今度こそ逃げないで」
写真には、昭40代とわれる辺の景が写っていた。セーラーを着た女が2、防波堤のに並んでいる。側は若い頃の清子だと分かったが、隣の女が誰なのか、里美はらなかった。
「直子って誰?」
そう尋ねた瞬、清子の表が変わった。
「らなくていい」
清子は写真てを倒し、からい布をかぶせた。先ほどまで自分から名を呼んでいたのに、それ以は何も話さなかった。
里美は53歳だった。
28勤めた旅会社を半に退職し、京から野県の実へ戻っていた。会社では団体旅の配を担当していたが、染症流の事業縮で部署が統され、の司から期退職を勧められた。
「さんなら、経験もありますし、次も見つかりますよ」
そう言われたが、53歳の転職活は簡単ではなかった。
履歴を送っても返事がない。面接までんでも、パソコンのしいシステムに対応できるか、若い社員とうまくやれるか、体力に問題はないかと尋ねられた。
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経験があると言われながら、その経験は古い物として扱われた。
ちょうど同じ頃、父ので暮らしていた清子が、自宅くのスーパーで帰りを分からなくなった。所のが実まで連れて帰ってくれたが、清子は「を違えただけ」と言い張った。
里美には兄弟がいない。
独で、京の賃貸マンションにで暮らしていた。仕事もなくなった以、実へ戻る以の選択肢がないようにえた。
清子はばなかった。
「頼んでない」
娘が荷物を運び込むのを見ながら、最初にそう言った。
「で丈夫」
「迷子になったが言うこと?」
里美が返すと、清子は3ほとんどを利かなかった。
母娘の関係は、昔から良くなかった。
清子は違いを認めないだった。里美が子どもの頃から、学の成績、友、学、就職、着るまでをした。
里美が京の学へきたいと言ったも反対した。
「女がくの学へって何になるの」
それでも父が方をしてくれたため、里美は京した。
卒業、そのまま京で就職した。結婚を考えた男性もいたが、清子が何度も話をかけてきて相の族や仕事を細かく尋ね、関係はしずつ壊れた。
「お母さんのせいで別れたわけじゃない」
里美は周囲へそう説した。
実際には、それだけが理由ではない。
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しかし母親から距を取りたかったことは確かだった。
それなのに53歳になり、また同じで暮らしている。
父の回忌には、親戚が7集まった。
法が終わったあと、叔父や従姉たちは清子の物忘れを配し、里美が戻ったことをんだ。
「娘がいてよかったね」
「里美ちゃんもなら、ちょうどいいじゃない」
何がちょうどいいのか。
仕事を失ったことも、京で築いた活を畳んだことも、誰も聞かなかった。独の娘が老いた母親の世話をするのは、最初から決まっていた役割のように扱われた。
その夜、親戚が帰ったあとで、清子は「直子」と呼んだ。
翌朝、里美は仏壇の写真を調べた。
裏には、く付がかれていた。
《19688 清子、直子》
直子は、母の妹だった。
里美は名だけなら聞いたことがある。
清子には7歳の妹がいたが、若い頃にをて、そのくなったと教えられていた。祖父母の仏壇にも位牌はなく、母が妹について話すことはほとんどなかった。
「直子さんは、いつくなったの?」
朝の、里美は尋ねた。
清子の箸が止まった。
「昔よ」
「何歳で?」
「覚えてない」
「妹の齢を?」
清子は噌汁をみ、ちがった。
「今は病院のだから、くして」
「病院はよ」
清子の表が固まった。
カレンダーを確認し、何も言わずに自へ戻った。
里美は追いかけなかった。
認症の初期かもしれない。
名を違えたことも、付を勘違いしたことも、それで説できる。
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