"退職金より失ったもの" 第11話
その言がどれほど傲だったのか、今なら分かる。だが理解するのが、あまりにも遅かった。
さらに1が過ぎた、佳代のもとへ直から連絡が入った。
「父さんが入院した。階段でを滑らせて骨折したらしい。命に別状はないから配しなくていい」
佳代はし迷い、翌の午、病院を訪ねた。
病で横になる秀治は、髪が増え、以より回りさく見えた。佳代の姿を見つけると驚いたように目を見いたが、すぐに線を落とした。
「来てくれたのか」
「直から聞いたの。具はどう?」
「術は必ないそうだ。しばらくリハビリをすれば歩けるようになる」
「そう。よかったわ」
会話はそこで途切れた。
かつての2なら、沈黙を恐れた佳代が次の話題を探していただろう。しかし今は、窓のに咲く桜を眺めながら静かに座っていた。
「佳代」
しばらくして、秀治がをいた。
「見いに来てくれたからといって、戻ってくれるとはっていない」
「ええ」
「ただ、礼を言いたかった。俺のを読んで、返事までくれたことに」
佳代は夫だったの顔を見つめた。
「私も、あなたから謝罪を聞けてよかったとっています」
「許してくれたのか」
「許すことと、元に戻ることは違うわ。でも、もうあなたをみながら暮らしてはいない」
秀治の目がわずかに潤んだ。
「それで分だ」
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佳代は持参したさな袋をベッド脇の台へ置いた。には、税理士事務所のくにあるで買った焼き菓子が入っている。
「糖分は控えめのものを選んだわ。でも、お医者様に確認してからべてね」
「ああ。ありがとう」
ちがった佳代を、秀治は引き止めなかった。
病をる直、秀治がもう度声をかけた。
「は、どうだった」
佳代は振り返った。
「とてもよかったわ。今度はへくつもり」
「そうか。気をつけてな」
「あなたも、リハビリを頑張って」
それが、婚に交わした最も穏やかな会話だった。
病院をると、桜のびらがのにっていた。佳代はを止めず、駅へ向かって歩いた。
そのの夕方、平には美紀と孫が遊びに来た。佳代が病院へったことを話すと、美紀は配そうに母の顔をのぞき込んだ。
「会ってつらくなかった?」
「丈夫。私たちはもう、夫婦ではないから」
「っていないの?」
「り続けるためにをたんじゃないもの」
佳代は庭の梅のを見ながら、静かに笑った。
「自分のを取り戻すためにたのよ」
青いファイルは、今も押し入れのに保管されている。けれど、佳代がそれをくことはほとんどなくなった。
そこに綴じられているのは、終わった39の記録だった。
今の佳代がしく記録しているのは、旅先で買った切符や講座の予定、孫たちからもらったである。
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かつて計簿だけをいていた帳には、自分のために使った額と、そのにじたことも残すようになった。
518、友と観劇。いに笑った。
63、しい靴を購入。履いてかけるのが楽しみ。
712、旅を予約。窓側の席。
それらは秀治に許を求めるための記録ではない。
誰かに貢献を証するためのものでもない。
自分が確かに自分のを楽しんだと、未来の自分へ伝えるための記録だった。
退職をめぐる争いは、すでに終わっていた。
しかし、あの夜に佳代がにした「全部清算しましょう」という言葉は、だけを分けるというではなかった。
夫に従うことが妻の役目だというい込み。
を続けることが族を守る方法だという考え。
く連れ添ったのだから、今さらを変えられないという諦め。
佳代が本当に清算したのは、自分をさく扱い続けてきた39の習慣だった。
は、何歳からでも自分の暮らしを選び直せる。
失ったを取り戻すことはできなくても、これから流れるの使い方は変えられる。
そのの、佳代はへ向かう列のにいた。
窓のでは、緑の田園がの差しを受けて輝いている。膝のにはしい帳があり、最初のページにはだけかれていた。
――これからのは、私が決める。
佳代はその言葉を指先でなぞり、ゆっくり顔をげた。
列は過からざかるためではなく、まだ見たことのない景へ向かってっていた。
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