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"消えた実印" 第9話

妹が転べば背負って帰り、捨てられた子猫を拾い、母のには自分の遣いでハンカチを買ってくれた。

どこで変わったのだろう。

それとも、変わったのではなく、自分が見たい部分だけを見てきたのか。

達也が、友から借りたを返さなかったことがある。文が代わりに返し、正雄には黙っていた。

代には、賃を使い込んだ。文活費を追加で送り、「今回だけよ」と言った。

結婚のローンが払えないと相談されたも、正雄に内緒で50万円を渡した。

困っている息子を助けるのが母親だとった。

だが、助けたのではなかったのかもしれない。

達也が自分のしたことへ向き会を、文が奪ってきた。

「お母さんが何とかしてくれる」

そうわせたのは、自分だった。

は売らない」

は言った。

も貸さない。取った60万円は返して」

「無理だよ」

「返せないなら、返せない理由を弁護士と会社へ話しなさい」

「警察に言うつもりか?」

「まだ決めてない」

達也の顔が歪んだ。

「自分の息子を犯罪者にするのか」

「犯罪になるようなことをしたのは、私じゃない」

達也は玄関の扉を拳で叩いた。

織に何を言われたんだよ!」

織さんは、あなたを悪く言わなかった」

「嘘だ!」

「借の資料を見せただけ。判断したのは私よ」

「母さんに判断なんかできるのか?」

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その言葉が、静かに胸へ刺さった。

達也は言ってから悔したようだった。

だが、もう遅い。

「私がぼけてるって言いたいの?」

「そういうじゃない」

を売る話も、私には判断できないとったから、勝めたのね」

「母さんのためでもあるんだ。古いんで、事でも起こしたらどうする。施設ならだろう」

「私のためなら、どうして先に借の話をしなかったの?」

達也は答えなかった。

は玄関の鍵を握った。

息子をへ入れたら、また言い訳を聞いてしまう。

事をし、疲れている顔を見て、しくらいなら助けてもいいとってしまう。

そうなるに、扉を閉じたまま話を終えなければならなかった。

「今は帰って」

「母さん」

「次に来るは、弁護士を通して連絡して」

達也は何度か名を呼んだ。

は返事をしなかった。

やがて音がざかった。

カーテンの隙から見ると、達也はでしばらくっていた。肩を落とし、幼い頃と同じようにし猫背になっている。

追いかけたかった。

温かい物をべたか。

眠る所はあるか。

会社との話はどうなっているか。

聞きたいことはいくつもあった。

それでも、玄関をけなかった。

母親であることと、息子の責任を代わりに背負うことは違う。

70歳になって、文は初めてその境界にっていた。

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は物忘れ来を受診した。

織に付き添ってほしいとは言えず、最初は由紀へ頼んだ。ところが予約の朝、織から話があった。

「由紀さんから聞きました。私がってもいいですか」

は迷った。

「あなた、仕事は?」

「午から休みを取りました」

「ホテル代もかかってるんでしょう。無理しなくていいのよ」

「無理ではありません」

織はそう言ったあと、以より慎な声で付け加えた。

「お義母さんが嫌でなければ」

し黙った。

「来て」

検査は2くかかった。

付、所、言葉の記憶、図形、簡単な計算。できた問題もあれば、途で何を聞かれたか分からなくなる問題もあった。

医師のでは平気な顔をしていたが、待へ戻るとが震えた。

「私、やっぱり病気なのかしら」

織は易に否定しなかった。

「結果を聞いてから考えましょう」

「あなた、から気づいてた?」

し気になることはありました」

「どうして、はっきり言わなかったの」

織は膝のに置いたバッグを見た。

「以、お義母さんに病院を勧めたら、私をから追いしたいのかと言われたので」

は覚えていなかった。

「そんなこと言った?」

の11です」

「覚えてない」

「私も、言い方が悪かったんです。蔵庫の物を理しながら急に話したので」

織は文を責めなかった。

だが文は、自分の言葉が消えたわけではないとった。

言った側が忘れても、言われた側には残る。

診察へ呼ばれ、医師から結果を聞いた。

軽度認障害の能性がある。

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