"名前のない弁当箱" 第2話
ひとかじった源郎は、何も言わずに顔を伏せた。
澄は、その横顔を見逃さなかった。
弁当が届いたの夜、澄は夕の片づけをしながら夫へ尋ねた。
「あのお弁当、当たりがあるんでしょう」
源郎は湯みを持ったまま、しばらく答えなかった。では隣のラジオから謡曲がさく流れ、くで貨物列の音がしていた。
「確かなことは分からん。ただ、あの卵焼きのを昔べた気がする」
源郎はそれ以話さなかった。澄も追及しなかったが、夫が押し入れの奥から古い帳面を取りし、夜遅くまでページをめくっていることには気づいていた。
その帳面が最初に作られたのは、昭21のだった。
戦争が終わって初めて迎えた本格な寒さので、本鉄所には8の若者が働いていた。復員してきた者、疎先から戻った者、族を空襲で失った者。境遇は違っていたが、全員がの事さえ分からない暮らしをしていた。
当19歳だった修は、ある朝、旋盤ので倒れた。源郎が抱き起こすと、体は驚くほど軽かった。病気ではなく、3ほとんど何もべていなかったのだ。
「どうして黙っていた」
「社だって困っているのに、言えるわけないでしょう」
は申し訳なさそうに笑った。母親と幼い妹を養っていたが、配だけではりず、自分の分を族へ回していたという。
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そのの夕方、源郎は自宅へ戻り、台所の米櫃をけた。には族3が数べるだけの米しか残っていなかった。澄は黙って夫の背を見ていた。
「へ持っていくつもりですか」
「ああ」
「正も育ち盛りですよ」
当7歳だった息子の正は、隣の部で教科を読んでいた。源郎は米櫃のでち尽くし、すぐには答えられなかった。
すると澄は、戸棚から布袋を取りした。
「全部は駄目です。半分にしてください。残りは芋を混ぜれば何とかなります」
「すまない」
「謝るくらいなら、いつかをて直してください。それから、このことを社員に言ってはいけません。私が渋々したとわれるのは嫌ですから」
翌朝、源郎は米と芋をへ運び、社員たちのに置いた。皆で分けるよう告げると、は唇を噛んで俯いた。
「返せる見込みがありません」
「貸すんじゃない」
「では、こんなにいただけません」
「今すぐ返す必はない。いつか腹いっぱいえるようになったら、おと同じように困っている奴へ渡せ。それで終わりだ」
その言葉はに残った若者たちので、く語られることになった。
源郎はを貸した記録を残さなかった。その代わり、誰のに何の族がいるか、病はいないか、子どもは何歳かを帳面にいた。料に余裕があれば、子どものいるには芋をく渡し、病を抱えたには卵や噌を回した。
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ところが昭23の、の若者がのを持って姿を消した。名は川、復員にくあてがなく、源郎が雇った男だった。
持ちられたのは取引先へ払う予定の3万円だった。当のには致命な額で、社員たちは警察へ届けるよう訴えた。
「社、恩を仇で返したんですよ」
「川を捕まえなければ、今度は俺たちの料がなくなる」
源郎は黙って机に座り、川の名がかれた帳面を見ていた。そこには「妻、結核。娘、4歳」と記されていた。
翌、源郎は警察ではなく川のんでいたへ向かった。部は空だったが、所の者から妻が血を吐き、急いで病院へ運ばれたと聞いた。
は病院代に使われていた。川は病院の裏で源郎を待っていた。逃げることもできず、に濡れながら座した。
「どんな罰でも受けます。ただ、女だけは助けたかったんです」
源郎は川を殴らなかった。警察へ連れていくこともしなかった。その代わり、へ戻って働き、毎しずつ返すよう言った。
「おが本当に返さなきゃならないのはじゃない。娘を、盗まなくてもきられるところまで育てることだ」
その来事をっていた者のには、源郎を甘いと批判する者もいた。だが川はへ戻らなかった。
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