"泥まみれの客と黒塗り5台" 第1話
京都内のタクシー営業所では、朝から無線の声とエンジン音が絶えなく響いていた。運転たちはそのの担当両を確認し、売表を見比べながら次々と営業へていく。
そので、佐藤美咲だけが所のにっていた。
30歳。5歳になる娘・結を1で育てるシングルマザーだった。
「佐藤、入れ」
扉の向こうからい声が聞こえ、美咲はさく息を吸ってから所へ入った。
机の向こうに座っている田所は、すでに今の営業成績表を広げている。赤いペンで囲まれた最段に、美咲の名があった。
「今もノルマ未達じゃないか」
田はを指で叩いた。
「体、何をやってるんだ」
「申し訳ありません。残りの数で、できる限り……」
美咲がをげると、壁際からさな笑い声がした。
その、営業成績について呼びされていたのは美咲だけではない。数の運転が内に残っており、そのには営業所トップの売を誇る黒田もいた。
「所、もう言っても無駄じゃないですか」
黒田は腕を組み、わざと美咲にも聞こえる声で言った。
「佐藤は客を選ぶのがなんですよ」
美咲が顔をげる。
「客を選ぶ……?」
「駅で並んでても、距っぽい客をのに譲る。荷物のい寄りがいたら伝ってをう。酔っ払いが困ってたら何分も付きう」
広告
黒田はで笑った。
「そりゃ数字ががらないでしょう」
周囲からくすくすと笑いが漏れた。
美咲は何も言い返せなかった。
確かに、黒田の言っていることの部は事実だった。
駅で何もの運転が客を待っている、美咲はへ割り込むことができない。きな荷物を抱えた齢者を見ればトランクへ荷物を運ぶし、き先がいからと申し訳なさそうに乗ってくる客にも笑顔で応じる。
距客を見分け、効率よく拾い続ける黒田とは正反対だった。
「女だから向いてないっていうより、商売に向いてないんですよ」
黒田が続けた。
「タクシーは慈善事業じゃないんだから」
美咲は膝のでを握りしめた。
田所は黒田を止めるどころか、いため息をついた。
「佐藤。俺も何度も言ってきたよな。会社は売で成りっている」
「はい」
「おがどれだけ真面目でも、数字がなければ評価できない」
田は成績表を美咲のへ滑らせた。
「今末までだ」
美咲の指先が震えた。
「え……」
「今末までにノルマを達成できなければ、辞めてもらう」
内が静かになった。
美咲は何か言おうとしたが、喉が詰まって声がてこなかった。
「分かったな?」
「……はい」
ようやくた声は、自分でも驚くほどさかった。
所をると、美咲は誰もいない階段の踊りでち止まった。
広告
窓のには曇った京の空が広がっていた。
首になる。
その言葉が何度もので繰り返された。
自分1なら、別の仕事を探せばいい。
だが今の美咲には、仕事を失うわけにはいかない理由があった。
スマートフォンをく。
待ち受け画面には、保育園の制を着た結が笑っている。
「ママ、見て」
数、病院の待で結は美咲に折りのを見せた。
「にできたね」
「ママにあげる」
「ありがとう」
美咲が受け取ると、結は嬉しそうに笑った。
その直、診察で医師から聞かされた言葉が、美咲の胸に今もく残っている。
結にはまれつき臓にさな疾患があった。
これまでは経過観察を続けていたが、成するにつれて負担がきくなる能性があり、来には術を検討する必があると言われている。
「術そのものについては、あまりになりすぎないでください」
医師はそう言った。
だが、美咲がなのは術だけではなかった。
入院の活。
仕事を休む期。
細かな費。
何が起きても対応できるように、しでもおを残しておきたかった。
ところが現実には、賃、保育料、費、費を払えば、毎貯できる額はわずかだった。
「頑張らなきゃ」
営業所の階段で、美咲はさく呟いた。
「結のために、頑張らなきゃ」
そこへろから黒田がりてきた。
「まだいたの?」
美咲は振り返らなかった。
黒田は隣を通り過ぎながら、気軽な調で言った。
「まあ、末まで頑張れば? 奇跡が起きるかもしれないし」
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
余命半年からの再出発
余命を告げられた日、夫は離婚届を置き、息子も「必要なことがあったら連絡して」と距離を置いた。 58歳の桐谷佳代子は、病気だけでなく、33年間築いてきた家族まで同時に失った。 誰もいない台所で一人分の味噌汁を作りながら、絶望の中にいた佳代子だったが、病院で出会った人々との縁をきっかけに、少しずつ自分の人生を取り戻していく。 治療、離婚、家を失う危機。 それでも彼女は、針と糸を手に取り、病気と向き合う人のための帽子作りを始める。 家族に必要とされることでしか自分の価値を感じられなかった女性が、人生のどん底から見つけた本当の生き方とは――。人生逆転|夫婦|第二の人生2.0萬字5 1 -
完結第14話
返されなかった合鍵
25年間、誰にも知られず借り続けられていた203号室。 夫の葬儀の日、見知らぬ女性から渡された一本の合鍵が、妻・千鶴の人生を大きく揺さぶる。 亡き夫はなぜ、家族に隠れて古い部屋を借りていたのか。 そこに残されていたのは、31本のカセットテープと、一人の少女の思い出だった。 最初は裏切りだと思った秘密。 しかし調べるほどに明らかになる、夫が25年前に背負った約束と、誰にも話せなかった苦悩。 守ることと、信じること。 家族を思う気持ちと、誰かを救おうとする気持ちは、時にすれ違ってしまう。 一つの合鍵から始まった真実の先で、千鶴が見つけたものとは――。人生逆転|相続|修羅場2.0萬字5 7 -
完結第12話
200円の家族
23歳の大学生・高橋翔太は、感情を捨てたように生きていた。 友人の誘いも断り、食事も会話もすべてを「合理的かどうか」で判断する日々。そんな彼が、ある日ファミレスで会計できずに困っている母子と出会う。 所持金は300円。小さな娘を連れた母親は、夫に貯金を持ち逃げされ、住む場所さえ失っていた。 翔太は不足分の200円を支払い、さらに母子を自分の部屋へ連れて帰る。最初はただの合理的な判断。そのはずだった。 しかし、温かい手料理、少女の「ありがとう」、そして夜中に聞こえた小さな泣き声が、5年間閉ざしていた翔太の心を少しずつ揺らしていく。 なぜ彼は笑わなくなったのか。 なぜ「感情は判断を誤らせる」と言い続けるのか。 助けたはずの母子との出会いは、やがて翔太自身が封じ込めてきた過去を呼び覚ましていく――。因果応報|人生逆転1.9萬字5 0 -
完結第12話
一万八千円の飯
自分の家族が経営する5つ星ホテルで、何気なく注文した一品の炊き込みご飯。 メニューでは1,800円に見えたはずなのに、会計明細には「18,000円」と記されていた。 帰国したばかりの後継者・小川優馬は、単なる表示ミスだと思い責任者を呼ぶ。だが、レストラン責任者は「社長が承認した価格です」と言い切った。 父が守ってきたホテルで、なぜ一杯のご飯が10倍の値段になっているのか。 優馬が調べ始めると、異常な価格変更、不可解な仕入れ、法人客への不自然な請求、そして継母・里見の影が浮かび上がっていく。 やがてその小さな違和感は、20年前に亡くなった実母・秋子の死、奪われた母方の財産、腹違いの弟の秘密、そして恋人だと思っていた女性の正体へとつながっていく。 始まりは、たった一杯の炊き込みご飯だった。 だが、その18,000円の明細は、運海ホテルに隠された20年越しの闇を開く鍵だった――。因果応報|修羅場1.7萬字5 0 -
完結第12話
寿司屋で暴かれた嫁
68歳の田村節子は、息子の再婚相手である嫁・美咲を、ずっと“よくできた人”だと思っていた。 亡き夫を失い、1人暮らしになった節子の家へ通い、手料理を届け、病院の送り迎えまで申し出てくれる優しい嫁。近所の人たちからも羨ましがられ、節子自身も本当の娘のように感じ始めていた。 しかし、美咲は少しずつ、家の権利書や預金、保険の受取人について尋ねるようになる。 そんなある日、節子は美咲に誘われ、馴染みの寿司屋へ向かった。ところが店主は、美咲の顔を見た瞬間、血相を変えて叫ぶ。 「節子さん、その人から早く逃げてください」 店主の父を騙し、財産を奪った女と同じ顔――。 信じたい気持ちと、拭えない違和感。やがて節子は、嫁の荷物の中から決定的なものを見つけてしまう。 優しい嫁の正体は何者なのか。 そして節子は、息子と家を守るため、静かに反撃を始める。因果応報|相続|親子関係1.7萬字5 0 -
完結第12話
復讐とんかつの逆転便
とんかつ弁当を注文した堀川琢磨の前に現れたのは、高校時代に自分を見下していた金持ち令嬢・柏木綾音だった。 かつて高級ブランドを身につけ、貧しい琢磨を笑っていた彼女は今、実家のとんかつ店を守るため、配達員として頭を下げていた。 「お前が配達?令嬢なのに?」 復讐心に火がついた琢磨は、自分の成功を見せつけるため、何度もとんかつ弁当を注文し続ける。 だが、届く弁当の味は想像以上だった。 そしてある日、綾音が差し出した冷凍とんかつの試作品が、琢磨の運命を大きく動かしていく。 過去の屈辱、消えない傷、落ちぶれた令嬢の謝罪。 復讐のつもりで始まった注文は、やがて小さな老舗店を救い、琢磨自身の孤独な人生まで変えていく――。因果応報|人生逆転|修羅場1.7萬字5 0 -
完結第13話
名刺一枚の逆転縁談
美容師として働く藤井まなみは、恋人・桜庭優馬からプロポーズを受け、結婚を決意する。 しかし、優馬の両親は最初からまなみを見下していた。服装、髪色、職業、そして実家のことまで決めつけ、「うちの息子とは釣り合わない」と一方的に別れを迫ってくる。 迎えた両家顔合わせの日。 港区のタワーマンション暮らしを誇る優馬の父は、まなみの父が「スーパーで働いている」と聞いた途端、露骨に笑った。 「スーパー勤めのお父さんでは、家柄がねぇ」 その場で結婚をなかったことにしようとする桜庭家。まなみは悔しさに言葉を失うが、父は最後まで穏やかな表情を崩さなかった。 そして静かに、1枚の名刺を差し出す。 それを受け取った瞬間、優馬の父の顔色が変わった。 見下していた“スーパー勤めの父”の本当の正体とは。 家柄や肩書きで人を判断した家族が、たった1枚の名刺で言葉を失う――痛快な逆転劇。人生逆転|裡の顔2.0萬字5 1 -
完結第11話
追放母の25億売却
お盆のため、長崎から東京の息子夫婦のペントハウスを訪れた田中春江。 亡き夫に手を合わせ、息子の好物を詰めた重箱を抱え、半日かけて上京した彼女を待っていたのは、温かな家族の食卓ではなかった。 嫁・里奈は春江の手料理を目の前で捨て、安いホテルの予約票を差し出す。さらに息子夫婦は、自分たちが旅行へ行く間、愛犬の世話だけを春江に押しつけようとしていた。 長年、息子のために働き続け、すべてを与えてきた母。だがその日、春江はようやく気づく。 自分は家族として呼ばれたのではない。ただ都合よく使われるために呼ばれただけだった。 その夜、春江は20年以上連絡を取っていなかった“ある人物”に電話をかける。 翌日、息子夫婦が暮らしていた天空の城は、静かに動き始めた――。人生逆転|親不孝|親子関係1.6萬字5 6