"焼け跡の花束" 第9話
壁が取り壊されなければ、写真は永に見つからなかったかもしれない。失われることが、しい記憶をくもあるのだ。
保されたレンガは朝倉商へ運ばれ、記棚の背面に使われた。子の写真は帳面と共に飾られ、当の子供たちの現の様子も記された。
健は町からしれた駅に、さなパンをいた。名は「はるの」とし、板には黄いレンギョウを描いた。
毎朝、最初に焼きがったパンの部を、隣の児童施設へ届けた。余ったものではなく、で客へ売るものと同じパンだった。
「どうして無料で渡すのですか」
働き始めた若い員が尋ねると、健は窯からパンをしながら答えた。
「昔、切れのパンで今をき延びた子供がいたからだよ。次のまできれば、その先にけることもある」
健は自分の話だとは言わなかった。子もまた、誰かを救ったと誇ることはなかったからである。
昭56、千川町の景はすっかり変わっていた。焼け跡は姿を消し、レンガ壁があった所には3階建ての商業ビルが建っていた。は舗装され、が絶えずき交い、戦もない頃の面を探すことは難しくなっていた。
56歳になった健は、久しぶりにで町を訪れた。「はるの」は息子夫婦が継ぎ、健はへるをしずつ減らしていた。
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朝倉商の主だった源蔵はすでにくなり、息子の正郎がを守っていた。古い蔵は改装されていたが、内の角にはレンガを使った記棚が残されていた。
「健さんですよね」
正郎は、へ入ってきた老をすぐに見分けた。子供の頃、父のそばで箒を持つ健を何度も見ていたからだった。
「壁があった所を、もう度見たくなってね」
2はをて、しいビルのへった。かつてのレンガ壁がどの位置にあったのか、今ではの幅や建物の向きから推測するしかなかった。
健は元へさな束を置いた。聞ではなく、でパンを包むために使っているいで包んでいた。黄いレンギョウとい野が数本だけの、昔と変わらない束だった。
「毎朝を置いていたのは、健さんだったんですね」
正郎が言うと、健は笑って頷いた。
「最初は毎来なければ、子さんが消えてしまうとっていました。でも、消えなかった。父や町のが、皆で覚えてくれたからです」
正郎はから子の帳面を持ってきた。を経て表は擦れ、ページも黄ばんでいたが、源蔵が最初に記した文章や、子供たちから届いたは切に保されていた。
最の方には、「はるの」から毎パンを受け取った施設の子供たちがいた礼状も挟まれていた。
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子を直接らない世代の言葉だった。
のは、パン職になりたいといていた。別の女は、護師になってさな子供を助けたいといていた。
健はをかけて枚ずつ読んだ。子が分けたパンは、べた瞬になくなったはずだった。しかしそこに込められた気持ちは、健のを通じ、子をらない子供たちへ届いていた。
「子さんは、自分が誰かを救ったとはっていなかったでしょう」
健は写真のの女性を見つめながら話した。
「ただ、そのお腹を空かせていた子供へ、持っていたパンを分けただけです。でも、あの切れがなかったら、私は次のまできようとえなかったかもしれない」
正郎は、源蔵がに残したを健へ渡した。封筒には〈健がになったに〉とかれていたが、の古い庫から見つかったのは源蔵のだった。
ので、源蔵は最初に健を見つけた朝のことをいていた。
〈おはを置くことで子さんを忘れまいとしていた。しかし、毎朝その姿を見た町の々も、いつしか子さんを覚えるようになった。おが置いていたのはだけではない。子さんがきた証しを、町ののへしずつ置いていたのだ〉
健はを胸元へ置き、目を閉じた。源蔵へ直接礼を言うことは、もうできなかった。
それでも子と同じように、源蔵が自分へ渡してくれたものもまた、健ののに残っていた。