"焼け跡の花束" 第7話
勇だけは方が分からなかった。子が寺へ運ばれた、誰かに連れられて町をれたとされていたが、記録には名が残っていなかった。
子が助けた子供は、健がる6だけではなかった。焼け跡で度だけパンを受け取った子、破れたを繕ってもらった子、眠る所を教えてもらった子が町のあちこちにいた。
源蔵が話を集めると、皆が別々の子を覚えていた。厳しく叱られた記憶を持つ者もいれば、何も言わずべ物を渡された者もいた。
子自は、誰かを救っているつもりなどなかったのかもしれない。その、目のにいた子供が空腹だったから、自分のパンを分けただけだった。
しかし、その度の為が、子供たちのに別の選択を残していた。達夫は失敗から逃げず、信は弟たちへ靴を買い、子は幼い子を世話していた。
切れのパンはべればなくなる。けれど、そのに受け取った「見捨てられていない」という覚は、何も子供たちのに残り、別の誰かへ渡されていた。
源蔵は子をる々の証言を、さな帳面へき始めた。字をけない者の話は源蔵が代わりに記し、や押しも挟んだ。
帳面を健へ見せると、はページずつをかけて読んだ。自分のらない所でも子が覚えられていることをり、何度も最初のページへ戻った。
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「僕がを置かなくても、子さんは消えない?」
「健が忘れなくても、いつかを取れば毎朝ここへ来られなくなる。だから、皆で覚えておくんだ」
源蔵は帳面の最にを残した。
「健も字がもっとけるようになったら、子さんのことをきなさい。がしおれても、言葉なら次のへ渡せる」
健は鉛を握り、最初のをいた。何度も消してはき直し、ようやくい文章を残した。
〈子さんは、僕にパンをくれた。パンより、笑ってくれたことを覚えている〉
その以、健は毎朝ではなく、学が休みのにを置くようになった。のない朝もあったが、レンガ壁のには源蔵が作ったさな箱が置かれ、子の話を記した帳面が収められた。
町の々は通りかかると帳面を読み、自分がる子の記憶をき加えた。名もない焼け跡だった所は、しずつの女性と、彼女からパンを受け取った子供たちの記憶を残す所へ変わっていった。
昭23、健は都内の児童養護施設へ移ることになった。叔父夫婦との話しいで決まったことであり、学へ通いながら規則正しい活ができる所だった。
叔父は健へ何度も謝った。
「うちで育ててやれなくて、すまない」
健は首を横に振った。叔父もまた戦争で弟を失い、甥を引き取ることを自分の責任だと考えていた。
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分なを与えられなくても、にいた健を見つけ、へ連れてきたことは事実だった。
叔母は最までくを語らなかったが、発の、健へしい布袋を渡した。子の袋を参考に、余った布をつなぎわせて縫ったものだった。
「破れた方は、へ入れておきなさい」
健が驚いて顔をげると、叔母は目をわせず、台所へ戻った。それが彼女なりの謝罪だった。
施設へ移ってからも、健はに度、と徒歩で焼け跡へ戻った。交通費がないは来られなかったが、その分、施設の庭でを育て、押しを帳面へ送った。
源蔵は朝倉商で帳面を保管し、健から届いたを貼った。子をる々の記録はしずつ増え、やがて冊では収まらなくなった。
健は学を卒業すると、昼は製パン所で働き、夜学へ通った。パンを作る仕事を選んだのは、子から受け取った切れを忘れられなかったからだった。
最初に任されたのは袋の運搬と窯の掃除だった。朝はく、傷や失敗もかったが、焼きがったパンの匂いを嗅ぐたび、焼け跡で子と会ったをいした。
製パン所では、形が崩れたり焼きが揃いだったりして、へせないパンが毎した。以は畜の餌や廃棄になっていたが、健は親方へ頼み、くの施設へ届けるようになった。