"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第8話
までの分
野縫製は町れのさなだった。階建ての建物にミシンの音が響き、昼休みになると、窓が斉にいた。
の昼係を務める井芳さんは、代半の女性で、仕事の話がかった。
「個を度だけ頼みたいの。続けるかどうかは、みんなにべてもらって決める」
「何にお届けしますか」
「半。遅くても分。に休憩が始まるから、そのに配りたい」
「お値段は百円で」
「会社がまとめて払うわけじゃないの。べるがそれぞれ払う。だから釣り銭が面倒にならないようにして」
私は頷いた。駅での販売と違って、弁当を届けるだけでは終わらない。誰が集し、何個余り、次の注文をどう受けるのか。井さんは細かいところまで聞いた。
「ので渡せばいいですか」
「それだとのが困る。事務所の横の棚を使って。ただし、通を塞がないこと」
私はそののうちに棚の寸法を測らせてもらった。
事務所には古い黒板があり、そのの欠勤者や作業班がかれていた。井さんは黒板の端に、弁当の注文数をく所を空けてくれた。
「朝のうちに数が変わることもあるの。までに決めるなら、変更できないことを最初にらせてね」
「はい。そうしないと、材料を無駄にしますから」
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「無駄にするのは、うちの昼休みも同じよ」
私はわず笑った。井さんの言葉は厳しいが、何を守ればいいのかはっきりしている。
をると、ので若い女性が自転を直していた。チェーンがれたらしく、指を真っ黒にしている。私が声をかけると、彼女は顔をげた。
「昼休みに直さないと、帰りが困るんです」
私はを貸せなかったが、具を持っている守さんを呼んだ。彼女は礼を言い、また作業へっていった。
あのにとって昼休みは、べるだけのではない。だからこそ、弁当を待たせてはいけないのだ。
試作したのは、さな鶏そぼろ弁当だった。卵焼き、ごぼうの煮物、季節の青菜。駅の鶏めしよりご飯をなくし、めてもべやすいよう鶏肉の切り方を変えた。
フミさんが眉を寄せた。
「宮原の弁当なのに、鶏がないよ」
「値段が違うもの」
「だったら、名も変えなきゃ」
その言で、私は考えた。駅の弁当は旅の楽しみだ。仕事のにべる弁当は、午も働けることが事なのかもしれない。
「《昼の鶏そぼろ》にしようか」
「気ない名だねえ」
「じゃあ、フミさんが考えて」
フミさんはしばらく考え、《森渡の昼ごはん》と言った。
美さんが笑った。
「それ、駅のでも通じますね」
試験当、私は午分に発した。良治が軽トラックを運転し、私は助席で運搬箱を押さえた。
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駅の踏切がく閉まり、分ほどけなくなった。
「このに列が来るの、ってたでしょう」
良治が言った。
「いつもは駅へ向かうから、反対側で待ったことがなかったの」
自分が暮らした町なのに、らないがある。
分、へ着いた。井さんは計を見てから、箱を受け取った。
「今はにった。でも毎このなら、余裕がないわね」
私はをげた。
昼過ぎ、空箱を取りにくと、個は全部なくなっていた。注文票には《ご飯がない》《が濃い》《野菜を増やして》と鉛でかれていた。最に《来週もお願いしたい》とあった。
私はわず笑った。
だが井さんは続けた。
「来週は個。ただし、回続けてを守れること。それから、請求の仕方を決めて」
「はい」
「遅れたら、そのはもう頼まない。こっちは昼休みを延ばせないから」
駅では列を待てばよかった。ここでは、の仕事が私を待っている。
帰り、良治が言った。
「個売れてよかったな」
「うん。でも今は売れたんじゃない。試してもらっただけ」
私は注文票を膝に置いた。褒め言葉より、鉛でかれたつの満が気になった。
それは私の弁当が、初めて駅のので測られただった。