"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第6話
名のない料
、私はフミさんと美さんをめに帰し、良治とで分の帳面をいた。
「、私たちはいくら稼いだの」
「売なら、ここにいてある」
「売じゃない。私たちの料」
良治は計算ので指を止めた。
弁当個百円。鶏肉、米、卵、ごぼう、漬物、掛、箱。季節によって値は違う。仕入れ代を払って、フミさんと美さんの料を払って、ガス代と賃との修理代を払う。残ったおから私たちは活費をしていた。
は良治の腰の治療費もかかった。蔵庫を修理したは、貯から万円を移した。
「私たちの料は、によってゼロだったのね」
「の仕事だからな」
「そう言ってきたけど、フミさんに同じことは言えないでしょう」
良治は黙って帳面をめくった。
私はっているわけではなかった。自分が何働いたか、数えようともしなかったことが、ただ議だった。朝半から仕込み、駅で売り、午は翌の注文を取り、夜には漬物を仕込む。忙しいは夕のあとにも箱を折った。
「誠が学のころ、運会に度もけなかったわね」
「お、昼の急が終わってからってったじゃないか」
「着いたら、もう綱引きが終わってた」
良治は苦笑した。その笑いを聞いて、私は初めて夫も同じ記憶を持っていたのだとった。
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「だからを閉めたいのか」
「違う。続けるなら、これからは仕事として数えたいの」
良治はしばらく考えたあと、引きしから構内営業の類をした。
「名義、俺になってる。これも変えたほうがいいのかもしれないな」
私はを見た。営業者の欄には宮原良治とかれている。義父から引き継いだとき、何の疑問もなくそうした。私はその横に判を押しただけだった。
翌週、私は良治と信用庫へった。融資の相談をするためではない。今ある預と借入の残りを、夫婦で同じ数字として見ておきたかったからだ。
窓の女性が類を並べると、良治は慣れた様子で説を始めた。私は途でを挟んだ。
「設備を買う、毎いくら返すことになるか、私にも分かるように教えてください」
女性はを私のほうへ向け、数字をつずつ示した。良治はし居が悪そうだったが、最まで黙って聞いていた。
帰り、夫が言った。
「俺が隠してたわけじゃないぞ」
「分かってる。でも、あなたがっていればいいとってたのは、私も同じなの」
でを続けるなら、ともらないことがあってはいけない。私は通帳を自分の鞄へ入れ、で写しを取ることにした。
「変えるなら続きがる。すぐにはできないぞ」
「分かってる。まず、私が何をしているのか、ちゃんといておく」
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翌、私は台所の壁に割を貼った。米を研ぐ、煮物を詰める、包装する、駅へ運ぶ。それぞれの作業にかかるもいた。
美さんが目を丸くした。
「私、こんなに掛を折ってたんですね」
「枚だからね」
「でも、朝のは私、子どもを送るから無理です」
「そこは変えない。しい仕事は、できるから考える」
フミさんはを見げて、ふっとを鳴らした。
「今さら学みたいなことをするのね」
「そうよ。歳の」
笑いが起きた。台所で笑うのは久しぶりだった。
昼過ぎ、駅から戻ると、誠が枚の見積を置いていた。国沿いのを借りるための期限が迫っているという。
「母さんがをさなくても、俺は自分でやる方法を探す」
「いいとう」
誠は拍子抜けした顔をした。
「反対しないの?」
「反対じゃない。私の貯で、私の仕事を勝に決めないでほしいだけ」
「じゃあ、母さんの仕事って何なんだよ」
私はすぐに答えられなかった。
駅で弁当を売ること。鶏めしを作ること。族と働くこと。どれも本当で、どれかつだけではりない。
その晩、私は帳面のしい頁に《私の仕事》といた。次のは空のままにした。