"昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由" 第1話
売らない弁当
「おばちゃん、それ、最のつだろ。売ってくれよ」
昭、午分。森渡駅の改札で、学のが私の元を指さした。
箱には、掛を巻いた鶏めし弁当がつだけ残っていた。黄い輪ゴムを本掛け、いつものようにの角をそろえてある。今、百個作ったうちの最のつだ。
「ごめんね。これは売れないの」
「なんで。今で、終わりなんだろ」
「そうだけど」
「だったら残しても仕方ないじゃん」
そのとおりだった。以、私は売れ残りを何より嫌ってきた。列が遅れればホームをり、がれば改札のまで迎えにた。余った弁当は翌に回せない。作ったものをそののうちにべてもらう。それが商売だった。
なのに、最のに限って、私はつを売らずに残していた。
は私の顔を見て、しだけ唇を曲げた。
「じゃ、いいよ。から別ので買うから」
そう言って階段をがっていく背に、私は何も言えなかった。
駅の井には「ありがとう国鉄」とかれた横断幕が掛かっている。昼から写真を撮るが絶えず、駅員たちもいつもより背筋を伸ばしていた。になれば、この駅の板も、制の胸章も、しい会社のものになる。
待の隅では、古い刻表を帳に写している男のがいた。
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ベンチには、列を待つのではなく、駅の空気を覚えておこうとするたちが座っている。私はその横を通りながら、いつもの客がいつもの刻に来てくれるかどうかばかり考えていた。世のが国鉄の終わりを見に来た今も、私にとっては弁当を売るだった。
けれど私にとって、国鉄の最のは、板が変わるではなかった。
駅ので弁当を売れる、最のだった。
かの、私はそんな終わり方をするとはっていなかった。
あのも午半に起きた。台所の鍋から湯気ががり、鶏肉を煮る醤油の匂いが裏まで流れていた。夫の良治はまだ暗いで箱を拭き、田代フミさんはさな包丁でごぼうを刻んでいた。
「澄さん、今もでいいの?」
「朝の急があるから。おにぎりは」
私はそう答え、いつもの帳面に数字をいた。
森渡駅の構内で「宮原の鶏めし」を売り始めたのは、私が歳のときだった。最初は義父の伝いだった。結婚して、子どもがまれて、義父がを退いたあとも、私は弁当を詰め続けた。旅の客も、張帰りの会社員も、故郷へ戻る兵隊がりのおじいさんも、みんな同じ改札を通った。
駅の計を見れば、何に何をすればいいか分かった。
ところが、その、改札の横に見慣れない封筒が置かれていた。
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駅の岡崎さんからだった。
《構内営業所の使用に関する協議のお願い》
私は字面を度読んだ。協議という言葉は、続けていいというにも、やめろというにも見えた。
「何かあったのか」
良治が聞いた。
「分からない。駅さんが、今の午来てくれって」
良治は封筒を受け取り、表を見ただけで台のに置いた。
「民営化の話だろ。まで急になくなりゃしないさ」
私もそういたかった。
しかし午、駅で渡された図面には、私たちの売があった所に、太い赤い斜線が引かれていた。
「以、ここは通になる予定です」
岡崎さんは言った。
私は図面の端を押さえた。がわずかに震えたのは、窓がいていたせいではない。
「じゃあ、うちの弁当は、どこで売るんですか」
岡崎さんは答えるに、机のの別の類を見た。
「それを、これから相談したいんです」
私のは、図面のでは幅メートルほどの角だった。