"50万円で嫁がされた私、6年後に見た父の姿" 第7話
父の沈黙との歳
学になった、私は度だけ、実へをいた。
便箋には、佐々の温かい理解のおかげで国学の教育学部に格できたこと、奨学を借りて学費を自力で賄っていること、そして元気に学活を送っていることを、できる限り丁寧な文字でき連ねた。宛名には「父様、母様」と並べて記した。
あの、私のを万円で売りばした父・正に対して、私のを、私の正しさを、どうしても突きつけてやりたかったのだ。
週、実から返送されてきたのは、母・よし子の丸っこい跡でかれた封通だけだった。
『千へ。学格、本当におめでとう。無理をして体を壊さないようにね。妹の麻紀も学になり、お姉ちゃんの話を誇らしそうにしています。……お父さんも、元気で官の仕事を続けています』
母の温かい祝福の言葉の向こうに、父の気配は微もじられなかった。
私のを読んだのかどうかも分からない。ただ最に申し訳程度に添えられた「お父さんも元気です」という文が、父の徹底した無関と徹さをたく物語っていた。
「結局、あのは何も変わっていないんだ」
私は母のを引きしの奥くに放り込んだ。
女が学へってどうする——あの、座卓を叩きつけて吐き捨てた父の傲な姿が脳裏に蘇る。
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娘が自力で国学に入ろうが、教員を目指そうが、あの男にとっては「親の敷いたレールに背いた気な来損ない」に過ぎないのだ。
、と学がむにつれ、私の活は教育実習や教員採用試験の対策で極限の忙しさに突入した。
域の公学での教育実習では、子供たちの純粋な笑顔と、言葉を覚えるびの瞬にち会い、歳のに抱いた「教師になりたい」というが、決して違っていなかったことを確信した。
末始、ふみ子さんが「千さん、たまには実に顔をして、お母さんや麻紀ちゃんに元気な顔を見せてあげたらどうだい?」と気遣ってくれたが、私は首を横に振った。
「いいえ、帰りません。学を無事に卒業して、自分の力で採用試験に格し、の教師として教壇につまでは、あのの敷居を跨ぐつもりはありません」
私は父とのに、確な境界線を引いていた。
途半端な姿で帰れば、またあの男にで笑われるだけだ。完全な自という揺るぎない事実だけが、あの男の古い偏見を打ち砕く唯の武器なのだと信じて疑わなかった。
そして、1994の。
私は学を優秀な成績で卒業し、難関だった県の公学教員採用試験に発で格を果たした。
初任として配属されたのは、佐々からで分ほどの所にある、あいのさな公学だった。
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、真しい紺のスーツにを包んで職員の自分の机に着いた、私の目から自然と涙がこぼれ落ちた。
歳のあの、絶望の淵で段ボールの底に隠したボロボロの参考が、ついに本物の「教鞭」へと姿を変えたのだ。
の末、初めて振り込まれた初任の細を握りしめ、私は町の百貨へ向かった。
健造さんには彫りの陶器の湯呑みを、ふみ子さんにはらしい桜のエプロンを、そして博には仕事で使える頑丈な牛革の作業用袋を買い求めた。
そのの夕の席で、私はのにその包みを並べ、畳にをついて々とをげた。
「お義父さん、お義母さん、博さん。……私を信じて、学へ通わせてくださって、本当にありがとうございました。この御恩は、忘れません」
ふみ子さんはエプロンを胸に抱きしめ、涙で顔をくしゃくしゃにして笑った。健造さんは照れくさそうに湯呑みを撫で回し、博は袋にを差し込んで「おお、ぴったりだ」とく頷いた。
私はこの、確信していた。
私の本当の族は、血の繋がったあの実ではなく、私の魂を救いげてくれたこの佐々なのだと。
しかし、その平穏な々に、本の話が予期せぬ波紋を投げかけることになった。