"50万円で嫁がされた私、6年後に見た父の姿" 第6話
始発列と夜の机
族会議がかれた翌朝から、私の活は変した。
目覚まし計の針が午を指すと同にね起き、凍てつく台所へ向かう。しかし、そこにはすでに割烹着を着たふみ子さんがっており、竈の薪を慣れたつきでくべていた。
「おはよう、千さん。噌汁の加減は私がみているから、あんたはく顔を洗って、昨の続きをに入れといで」
「お義母さん、そんなわけにはいきません。私だって朝の支度くらい——」
「いいからきなさい。あんたの受験は、このみんなの戦いなんだからね」
ふみ子さんの背に優しく押しされ、私は階の自に戻って机に向かった。朝の澄んだ空気の、英語の単語帳をめくり、歴史の表をノートにきなぐる。午半に族全員で朝をとり、分には防寒具にを包んでをる。
最寄りの国鉄の駅までは、解けのぬかるんだ砂利を自転で分。奥羽本線の始発に乗り込み、の効いた内でったまま問題集をく。吊革に掴まりながら英単語を反復し、乗り換えたバスのでも参考から目をさなかった。
を卒業してから以のブランクがある。現役の受験たちに追いつくためには、移の数分、畑仕事のの休憩すら惜しかった。
広告
夕方、講義や自習を終えてへ戻ると、今度は野良着に着替えて畑へとる。義父の健造さんと並んで鍬を振るい、収穫した野菜をつきのまま仕分け、納の掃除を片付ける。全の筋肉が軋み、指先がとで黒く染まる。夕の膳てと片付けを終え、ようやく階の自分の机に座れるのは夜の過ぎだった。
そこから夜、にはまで、灯ので過問と格闘した。
魔に襲われてを漕ぎそうになると、たいで顔を洗い、ふみ子さんが夜にと握ってくれた塩むすびをに運んだ。素朴な塩気が、乾いた体に染み渡る。
「……負けない。絶対に受かって、このたちに恩返しをするんだ」
が吹き抜ける頃、私の模試の判定は、かつての現役代を回る数字を叩きすようになっていた。
そして迎えた19902。に見われた国学の次試験を終え、翌の格発表の。
掲示板のにった私の目に、教育学部学教員養成課程の欄に並ぶ自分の受験番号がび込んできた。
格だった。
公衆話から佐々へダイヤルしたのの震えを、私は涯忘れることができない。
受話器の向こうで私の報告を聞いたふみ子さんは、「よかった……本当によかったねえ……!」と、まるで幼子のように声をげて泣き崩れた。
広告
健造さんは話の奥で「そうか、受かったか!」と豪に笑い、博は仕事帰りに町で番きな尾付きの鯛を買って帰ってきた。
その夜の佐々の卓は、これまでにないびに満ちあふれていた。
しかし、私の本当の戦いは、そこから始まった。
学となった私は、本育英会の第種奨学の続きを自らめ、無利子の貸与を受けることでの授業料を確保した。保証欄には、健造さんが「俺の名でいいなら、胸を張っていてこい」と、震えるで実印を力く押してくれた。
さらに、曜には駅のでレジ打ちと品しのアルバイトを入れ、通学定期代と教科代をすべて自力で稼ぎした。
「実の親に売られた娘」から、「自分ので未来を切りくの学」へ。
片半の過酷な通学を駆け抜ける々ので、私のに巣っていた「被害者」としての々しいは、ごとに逞しい誇りへと塗り替えられていった。