"シャッターを切らなかった日" 第17話
泣いている顔がほしい
、京の版社から写真館にが届いた。
俣の写真を集めた特集を考えているという。さんの記事で僕の名をり、写真を見せてほしいといてあった。
親方はを読み、「おにも仕事が来るようになったか」と笑った。僕も嬉しかった。写真でべていくが、しけた気がした。
指定されたに話を掛けると、編集者はで話した。
「活の写真は拝見しました。ただ、もうし決定な面が欲しいんです。泣いているとか、っているとか。読者が目で俣病の刻さをじるものを」
僕は受話器を握り直した。
「被害のことなら、説の資料もあります。写真を使うなら、本の解が必です」
「もちろんです。でも、写真には写真の役割があるでしょう。記事を読ませるための入が必なんです」
その理屈は、半の僕にもよくわかった。
「今、そういう写真はありません」
編集者は、写真を使うなら撮者への謝礼を払うと説した。僕は瞬、額のことを考えた。古いカメラの修理代にも、次のフィルム代にもなる。写真を仕事にしたい僕にとって、断るのは簡単ではなかった。だからこそ、何を求められているかを曖昧にしたまま受けるわけにはいかなかった。
「これから撮れませんか。には裁判のきもあるでしょう」
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僕は返事を保留した。
話を切ると、親方が何も言わず、現像液の温度を測っていた。僕は自分から話した。
「仕事を断ったら、もう頼まれないかもしれません」
「そうかもな」
「でも、泣いてるを探しにくのは違う気がする」
親方は温度計を拭いた。
「泣いてるを撮るのが、全部悪いわけじゃない。本が見せたいと願う写真もある。おが嫌なのは、先に泣く顔を注文されたことだろう」
僕はうなずいた。
その週、倉庫の集まりで藤本志津さんとりった。代の女性で、族の俣病被害をめぐる訴えに関わっていた。僕が版社の話をすると、彼女は静かに聞いていた。
「写真を撮ってもらって助かったもいるでしょうね」
「はい」
「だから、撮られるのが嫌だというだけの話にしないでね。自分から撮ってほしいもいる」
僕ははっとした。断る権利を守ることばかり考えて、撮ってほしいという願いも同じくらい切だと、忘れかけていた。
志津さんはさな封筒をした。には、族で撮った記写真が枚入っていた。
「これはにはさない。でも、今度の集まりでは、私が話しているところを撮ってほしい。何を言ったかも、緒に残して」
「わかりました」
「それから、もし私が途で泣いても、泣いてるところだけを選ばないで」
僕はその条件をき留めた。
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版社には、志津さんの申しをそのまま伝えた。編集者は「話している写真ではいかもしれない」と言った。
「なら、今回はお渡しできません」
受話器を置くと、指が震えていた。
僕は写真館の売帳を見た。フィルム本の値段も、印画の箱の値段も、親方がどれだけやりくりしているかっていた。理だけでは写真の仕事は続けられない。けれど、活のために引き受けた仕事が、別のの活を傷つけるなら、その代を受け取るたびにいすだろう。僕はその怖さを、ようやく自分の問題として考えた。初めて来たきな仕事を、自分でざけたのだ。
その夜、志津さんの集まりで撮った写真を現像した。彼女はって話し、隣のの言葉を聞き、メモを取り、疲れると子に座っていた。僕はその全部を写した。
写真を見た志津さんは、っている枚を選んだ。
「これがいい。私が自分で話してるのがわかるから」
僕はその写真の裏に、彼女が話した付と、使ってよい範囲をいた。
泣く顔を探すより、はるかにのかかる枚だった。