"母との同居後、妻が倒れた――医師が私だけ呼んだ理由" 第2話
万円の封筒
母を迎えにった、実の玄関にはさな旅鞄がつ置かれていた。は着替えと薬、それから父の写真が枚だけだった。「を捨てるわけじゃないんだから」と母は笑ったが、仏壇のでをわせる背は、私の記憶よりずっとさく見えた。
美は階の客を片づけ、窓際に母の好きな鉢植えを置いてくれていた。母は「お世話になります」と々とをげ、美は「そんなに改まらないでください」と照れたように答えた。私はのやり取りを見て、これで族全員ができると確信した。
末、母は茶封筒を卓に置いた。「毎万円、活費として受け取ってちょうだい」。私は即座に返したが、母は引っ込めなかった。美が「お義母さんが自分で決めたことなら、受け取りましょう」と言ったので、私はようやく折れた。
美はそので封筒をけず、計簿に「節子さん活費」と記して引きしにしまった。私は細かいとったが、母はしたようだった。母にとって、世話になるだけのではなく、暮らしに参加するでいることが切だったのだろう。
初めの週、母は自分の洗濯物を洗い、器を拭き、夕方には散歩にた。美が台所で忙しそうにしていると「伝うわよ」と声をかけ、美も無理のない仕事を頼んでいた。
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が笑っているのを見て、私は会社で同僚に「うちは同居がうまくいっている」と話した。
変化が始まったのは、母の病院から届いた封筒だった。次の通院と検査の注事項が細かくかれており、母は老鏡をかけても読みにくそうにしていた。美が代わりに説すると、母は「あなた、こういうのが得ね」と頼るようになった。
そのは薬局への問いわせ、減塩の宅配の注文、役所へ提する類の確認と、用事がしずつ美の方へ流れていった。美は経理の仕事をしており、週には宅勤務だった。私は「にいてくれるがあって助かるな」と言い、彼女に「にいるんじゃなくて、仕事をしているの」と訂正された。
「分かってるって」と私は笑った。分かっているなら、そのの仕事が何から何までで、どんな作業に集しなければならないのか、聞くべきだった。実際の私は、宅勤務という言葉を、いつでも呼べるがにいるというにすり替えていた。
ある晩、美が蔵庫にを貼った。「通院・買い物・の用事」という見しのに、の名をく欄がある。母の病院の送迎には私の名が、宅配の確認には母の名がかれていた。美は「で全部覚えると違えるから、分担しよう」と言った。
私はそのを見て「もちろん」
と答えた。しかし翌週、客先との会議が入ると、母の送迎の欄に自分でいた名を消し、美へ「頼むよ」と声をかけた。母が「タクシーでけるわ」と言ったのに、私は「美がいるから丈夫」と遮った。
その夜、蔵庫のには美の名がつ増えていた。私は仕事を終えて帰宅し、温かい夕をべながら「今も普通だった?」と尋ねた。母も妻も「普通よ」と答えたので、私はしてテレビをつけた。
美がを貼った理由を、私は最まで考えなかった。彼女は助けを求める方法を、きちんと用していたのだ。それを最初に無効にしたのは、ほかでもない私だった。