"朝霧湯、最後の暖簾" 第1話
湯のない番台
「今夜の分は、届けられません」
話で久保田燃料の若い配達員が言ったとき、島田正は、受話器をに当てたままかなかった。
「の分と緒でいい。百リットルだけでも頼む」
「社から、今はこれ以回せないと。すみません」
「なら払う。払いでもいい」
「おの話じゃないんです」
昭。信州のさな町にある朝湯では、男湯の壁の富士が、湯気もないまま乾いていた。脱の柱計は午を指している。普段なら釜で灯油の燃えるい音がし、洗いのはもうし温かいはずだった。
正は受話器を置いて、釜の横にある計量棒を引きげた。油の跡は先端から指本ほど。夜の数字と比べると、残りは見込みよりない。に入ってから、妻の澄子は毎晩、使った湯の量も記録していた。節約のためだ。客が減っても、湯を度満たす燃料はして減らない。
「どうだった」
釜の戸で澄子が聞いた。歳。糊の利いた掛けには、さなほころびを繕った跡がある。
「来ない」
正は棒を拭きながら答えた。
「も?」
「分からんそうだ」
澄子は度だけ目を閉じ、番台のほうへ戻った。正は止めなかった。妻が何をするか分かっていたからだ。休業の札をすに、いつもの客へ事を話すつもりなのだ。
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になると、表戸の格子が鳴った。先は本ウメだった。歳で、暮らし。たらいと拭いを呂敷に包み、毛糸の子をかぶっている。
「まだ入れないのかい。寒いからく来ちまったよ」
澄子がへた。
「ウメさん、ごめんなさい。今はお湯がせないかもしれないの」
ウメは内を覗き、いつものように笑おうとした。
「釜が壊れたのかい」
「油がないの」
「そうかい。油かあ」
ウメのろには、町を退職した島老、杖を持った園田夫婦、その隣の坂をゆっくりりてきた歳のトメまでいた。数を数えると。皆、呂のない古いにみ、ここが休みのには隣町の公衆浴までバスでくたちだった。
「向こうの朝湯へけばいいじゃないか」
正が言うと、園田の夫は杖を持ち直した。
「あのの階段が怖いんだよ。暮れに転んだら、娘に叱られる」
「臨バスがあるだろう」
「最終がくなった。帰りに乗れない」
正は黙った。誰も文句を言わないのが、かえって苦しかった。
歳の娘、千絵が学から帰ってきたのは、そのときだった。肩から鞄をげ、には護学の入学案内を持っている。彼女は入のだかりを見て、すぐに事を悟った。
「お父さん、休みにするの?」
「それしかないだろう」
千絵は客たちを見た。
「でも、みんな来てるよ」
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「分かってる」
正は、釜の鍵を握りしめた。
昨までは、正を越すだけの油があると信じていた。油との取引はい。くなっても、量だけは届けてくれるとっていた。
「今夜だけでも」と澄子が言った。「男湯を使わず、を分けて女湯のほうに入ってもらえば、しは節約できない?」
「簡単に言うな。入浴する数だけで燃料が決まるわけじゃない。湯の温度がりなければ、けられん」
「分かってる。でも、調べてみてから――」
「残った油を使えば、来の修理代も、千絵の入学も払えなくなる」
千絵は顔をげた。客たちので自分の学費を持ちされるとはわなかった。
ウメがそっと呂敷を抱え直した。
「ごめんよ。そんな事ななら、私らは帰るから」
その言に正は胸を刺された。自分は誰も責めていない。それなのに、目のの老たちが申し訳なさそうにをげている。
ウメたちが帰ったあと、澄子は番台の引きしから枚のをした。休業のおらせをくためだったが、を持ったまま止まった。
「ねえ。うちが閉めたら、あのたち、本当にどこへくんだろう」
正は答えられなかった。
その夜、釜で計量棒をもう度ろした正は、古い点検表の余に数字をいた。入浴に必な温度、配管に残る湯、翌の凍結防止に取っておく分。
どれも削れば済むものではない。
最に、こういた。
『あと度だけなら、沸かせる能性あり。ただし次はない』
正はそのを裏返した。妻にも娘にも、まだ見せる気になれなかった。