"手取り23万円の俺、旅館で妻が「お嬢様」と呼ばれた" 第3話
スーパーの搬入とピンクの折り鶴
彩佳と会ったのは、ののことだった。
そのの、也の担当する午の配送ルートに、私鉄の駅の裏にある元資本の型スーパー「フレッシュマート」がしく加わった。裏通りの狭い搬入にトラックをバックで着け、い観音きの扉をける。荷台からコンテナをろし、舗奥の暗いバックヤードまで台を押していくのが也の役目だった。
そこで青いエプロンを着け、柄な体で黙々と品し作業をしていたのが、当歳の彩佳だった。
最初の印象は「本当によく働くだ」というものだった。細い腕で料のい段ボールを軽々と持ちげ、伝票の数字と棚の庫を際よく照していく。乱雑になりがちなバックヤードで、彼女の作業スペースだけは常に段ボールが美しく畳まれ、にゴミつ落ちていなかった。
あるの午、也が運び込んだ荷物の数を検品していた彼女が、さな声をげた。
「あの……すみません。ドライバーさん、この伝票だと牛乳があとケースりないみたいなんですけれど」
「えっ? 嘘でしょう、ちゃんと積んできたはずですが……」
也が慌ててトラックの荷台へ戻ると、奥の暗がりに牛乳のケースが箱、荷崩れ防止のバーのに取り残されていた。
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「本当だ……すみません! 完全にこちらの見落としでした」
也がや汗を拭いながら荷物を運び込むと、彩佳は胸のでをわせ、ほっとしたように微笑んだ。
「よかった、助かりました。そのままかれちゃったら、私、にられるところでした」
「いや、助かったのはこちらですよ。営業所に戻ってから発覚したら、始末ものでしたから」
彼女の胸元の名札には「桐」とかれていた。「きりゅう」と読むのだとったのは、それからしばらく経ってからのことだ。
それからというもの、午の搬入で顔をわせる数分が、也にとっての運ので何よりの楽しみになっていった。「今は暑いですね」「はがるそうですよ」といったのない世話から始まり、やがて彼女が歳になる娘をで育てているシングルマザーであることをった。
「娘の名は結っていうんです。昼は駅の認保育園に預けていて、にパートが終わったら、急いで自転で迎えにくんですよ」
結の話をするの彩佳の横顔は、スーパーの売りで見せる引き締まった表とは打って変わり、の陽だまりのように柔らかく綻んでいた。
の半ば、のる曜のことだった。
搬入にトラックを横付けすると、彩佳が落ち着かない様子で何度も壁の掛け計を見げていた。
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元の伝票をめくる指先が微かに震えている。
「桐さん、どうかしましたか?」
「……保育園から連絡があったんです。結が急にをしたみたいで。でも、今は遅番のパートさんが急な体調良で休んでしまって……この荷物を全部捌かないと、私、抜けられなくて」
彩佳の顔は蒼だった。バックヤードには、まだ半分も仕分けされていない段ボールがのように積みがっている。
「子供のは待ってくれませんよ。俺、今の配送はここが最なんです。荷物は全部、俺が奥の蔵のまで運んでおきますから、くってあげてください」
「えっ……そんなの、ドライバーさんの仕事じゃないですし、ご迷惑をかけるわけには——」
「いいから! 戻って報をくだけなんですから、同じことです。さんには俺から伝えておきますから、く!」
也がし語気をめて背を押すと、彩佳は涙目になりながらくをげ、更へとっていった。
翌週、再び搬入を訪れると、彩佳がたい缶のお茶を両で差ししてきた。
「このは本当にありがとうございました。結のも翌にはがって、元気に登園できました。これ、お礼です」
「わざわざすみません。お役にててよかった」
そのを境に、の距はしずつ縮まっていった。彩佳が婚して娘ときりでこのに移りんできたこと、実とはある事かららく連絡を絶っていること。
い事までは踏み込まなかったが、彼女が背負っているもののさは、その華奢な肩の佇まいから分に伝わってきた。
のあるれた、也はを決して、搬入で作業を終えた彩佳に声をかけた。
「あの……もし迷惑でなければ、今度の曜、緒にお昼でもべにきませんか?」
代も半ばを過ぎ、女性を事に誘うことなど何ぶりだったかいせない。也の喉はカラカラに乾いていた。
彩佳は驚いたように目を見張り、それから困ったように線を落とした。
「……お気持ちはすごく嬉しいです。でも、私には子供がいますから。独の女性のように、だけでかけることはできないんです」
それは、回しな拒絶の言葉のようにも聞こえた。だが、その声には「自分のような境遇の女が、誰かとかけていいはずがない」という、諦めにも似た頑なな壁がじられた。
也はふっと息を抜き、笑ってみせた。
「だったら、結ちゃんも緒にきましょう。駅のファミレスなら、お子様ランチもありますし、気兼ねなく騒いでも丈夫ですから」
彩佳は弾かれたように顔をげた。
「結も……ですか?」
「ええ。できましょう」
に彩佳から聞いたところによれば、それまでに会った男たちは、子供がいるとった途端に骨に連絡を減らすか、あるいは子供をどこかに預けてだけで会おうと迫ってくる者ばかりだったという。
「娘も緒に」と何の衒いもなく言われたのは、それがまれて初めてだったのだと。
その次の曜、駅のファミリーレストランの禁煙席で、也は落ち着かない面持ちで待っていた。約束の分に到着し、シャツの襟元を何度も直す。ズボンのポケットには、の文具で買ったピンクの折りの束が入っていた。
約束の分、の自ドアがき、いブラウスを着た彩佳が、黄いカーディガンを着たさな女の子のを引いて入ってきた。
「結、ご挨拶して」
彩佳が促すと、女の子は母親のスカートのろへ完全にを隠し、片目だけをこちらに向けた。警戒に満ちた、濡れた黒い瞳だった。
「……こんにちは」
「こんにちは。也です。今は来てくれてありがとうね」
席に着いても、結は彩佳の真横にぴったりと密着し、てかけられたプラスチックのメニューのに顔を隠してしまった。運ばれてきた幹線のプレートに盛られたお子様ランチのチキンライスにも、もをつけようとしない。
困り果てた彩佳が「結、ほら、せっかくさんが頼んでくれたんだから」と声で窘める。
也は笑って首を横に振り、卓のペーパーナプキンを枚引き抜いた。
「結ちゃん、これ見てて」
角いを斜めに折り、指先で折り目をピシリとつける。
距トラックの助席で、暇を持て余した幼い也に父が教えてくれた、唯の折りの技だった。羽を広げ、の先を折り曲げると、羽のい鶴が完成した。
それをそっと、幹線のプレートのさな旗の横に置く。
結の線が、メニューの縁からツルへと移った。
「……とりさん?」
「ツルだよ。ほら、ここを引っ張ると羽がくんだ」
也が実演してみせると、結の目が丸くなった。
「もう羽、できる?」
「できるよ。ピンクのやつもあるんだ」
也がポケットから折りを取りすと、結はようやくメニューの盾をろし、を乗りしてきた。也はナプキンとピンクの折りで、次々と羽の鶴を折った。テーブルのに並んだ鶴を指先で突つきながら、結はさなスプーンを握り、ようやくチキンライスをに運び始めた。
「……美しい」
「そうか。よかった」
向かいの席で、彩佳がそっと目元を拭いながら、声をさずに笑っていた。
帰り際、ファミレスの駐で、結は羽の折り鶴を切そうに両で抱え、也の顔を見げてさな声で言った。
「バイバイ、ツルのおじちゃん」
「こら、結。ちゃんとさんって呼びなさい」
彩佳が慌てて制止しようとしたが、也はしゃがみ込み、結の目線にわせてを振った。
「いいよ、それで。ツルのおじちゃん、また美しいものべにこうな」
結はこくりと頷き、母の自転のろのチャイルドシートに収まった。夕暮れの交差点で、赤信号を待つ、結は折り鶴を持った方のを、也に向かって何度もさく振り返していた。
そのの夜、きりのアパートに戻った也の胸には、これまでので度もじたことのない、じんわりとした温かい灯が灯っていた。