"昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録" 第5話
母がいた保証の名
邦夫さんを訪ねると、奥さんが玄関にた。歳をし過ぎたさんは、退職、町れで畑を耕して暮らしていた。私の名を告げると、奥さんのろでが止まった。「正男君の妹さんか」。その声には、懐かしさより警戒があった。
私は平田さんから預かったりきの写しを差しした。「この字をごじですか」。さんは鏡を掛け、をづけた。「俺の字じゃない」。私はの署名を指した。「名があるんです」。彼は顔をしかめた。「誰かが勝にいたんだろう」。
「次のを発させるに、兄は何を訴えたんでしょうか」
「彼は就職先になじめなかった。それだけの話だ」
「陽精器には、のうちしか入っていません。学が配った覧はとも陽精器です」
さんは縁側から畑を眺めた。「昔は、就職先の変更なんて珍しくなかった」。
「変わったなら、本と親が承しているはずです」
返事はなかった。私は焦げた片を取りした。『第配属先』という文字と、千百という数字。さんはそれを見た途端、座布団からしを起こした。「どこに残っていた」。
「母が、燃え残りを持っていたんです」
さんはちがり、隣の戸を閉めた。それから声を落とした。「丹羽さんは、この辺りの子どもを何も都会へ送りした。
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仕事があるだけありがたい代だったんだ」。
「兄もそうって発しました。でも、約束した所に着けなかった子がいたんです」
「正男君が何を言っても、証拠がなかった」
私はわず聞いた。「先は、正男が嘘をついていないとっていたんですか」
さんは顔を伏せた。「正直に言えば、分からなかった。丹羽さんの紹介なら丈夫だとっていたし、学も毎頼っていた」。
私は平田さんの診療記録を見せた。さんはい読んだ。「こんな怪をしていたのか」。その反応に嘘があるかどうか、私には見極められなかった。
「次のは、どうなったんですか」
「予定は変わった。別の会社へ紹介し直したんだ」
「兄が訴えたから?」
「……それだけじゃない」
さんはそうにをいた。正男がへ戻った、学へ県の職業定所から問いわせがあった。徒の就職先について確認したいという話だった。さんは、配属先が変更されたの名を尋ねられたという。
「丹羽さんに報告したら、変なことになった。『正男が余計なことを言ったせいで、全部取り消される』とってね」
「先は、確かめなかったんですか」
「定所へは、学として資料をした。でも、丹羽さんはそれが気に入らなかった」
さんはそこで黙った。私は尋ねた。「どうして学の先が、丹羽さんをそんなに恐れるんですか」
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。
「当のは、がていくばかりだった。丹羽さんは就職を見つけ、貧しいの子にも旅費を貸す。あのに逆らえば、次のからも紹介してもらえないとった」
そこまで話すとさんは、押し入れの奥から細い箱をした。古い卒業アルバムや成績簿の控えのに、褪せた青い封筒があった。『昭 就職関係』と記されている。
「学には渡さなかったんですか」
「渡せなかった。俺の判断が違っていたことまで残っていたからな」
には、丹羽援会から送られた案内状が種類入っていた。枚には『陽精器へ名入社予定』。もう枚には『陽精器名、川鉄名』。枚の付は同じだった。発に、き先が分かれていることを学はらされていたのだ。
「これを受け取っていたんですね」
「……ああ」
私はを指差した。「それなのに、どうして母たちにはとも同じだと説したんですか」
さんは答えられなかった。
私はその沈黙のに、学の廊をいしていた。相談の、母は洗濯した作業着のに古い着を着てった。ほかの保護者よりしれて座り、兄の名を呼ばれると慌ててった。丹羽が『寮活は規律がある。帰省は盆と正です』と言うと、母は何度も頷いた。私には派なに見えたが、今えば、難しいことを尋ねる余裕など誰にもなかった。
学の先と世話役のが並んで同じ説をしたら、親たちは信じる。
「先、もし当、私の母が『陽精器へ入るんですか』ともう度聞いていたら、何と答えましたか」。さんはく黙り、「同じように陽精器だと言ったとう」と答えた。私はそれが何よりつらかった。母はかったが、だまされた側でもあった。らないことを尋ねても、本当の答えは渡されなかったのだから。
さらに封筒の底に、保証の用があった。『込就業の諸費用について、保護者が責任を負う』と印刷されている。額欄は空。保証の署名欄には、見覚えのある文字があった。
『岸田静』。
私は息を呑んだ。母の字だ。しがりになる「」の最の線まで、見慣れている。
「どうして母の名が」
「丹羽さんが、親から先に預かっていたんだろう。皆、寮へ入る続きだとって印を押したんだ」
「この空に、あとから額をけるじゃないですか」
さんは目をそらした。
「先、っていたんですね」
私は声をめた。、母は貧しかった。私たちの学費も、べ物も、兄が働くことにかかっていた。そんな母の署名を、丹羽は握っていた。
さんはさく言った。「正男君は、この保証を見たんだ。京で同じ様式のに、数字がきされているのを」
「兄は、それも持って帰ってきたんですか」
「そうだ。だから丹羽さんは回収しろと言った」
私はようやく分かった。母は兄を信じなかっただけではない。丹羽から借を請求されると恐れ、証拠まで自分ので消してしまったのだ。
だが、さんの次の言で、私の理解は崩れた。
「美枝さん。お母さんがそのへ署名したのは、正男君が発するよりじゃない。発した翌のことだった」
私はを乗りした。「兄ちゃんが京へったあとに?」
さんはうなずいた。「丹羽さんが、わざわざへ取りにった。何のためだったか、俺は今でも忘れられない」。