"昭和44年、終電後に消えた駅員――28年目に見つかった記録" 第10話
旧採のの
警察が旧採を確認したのは、翌朝だった。
の相談だけで、すぐに規模な捜索が始まったわけではない。
古い診療記録と搬記録だけでは、そこに遺体があると断定できなかったからだ。
それでも、岸本記者が事始の報をらせ、私たちが資料をまとめて提したことで、現の確認がわれることになった。
私は母と緒に、ので待った。
の空気はたく、もうの終わりの匂いがしていた。
稲葉建設の作業員が数、れたところにっている。
そのに、稲葉弘之の姿があった。
彼は私たちを見ると、険しい顔でづいてきた。
「杉原さん。ここまでなさる必があるんですか」
私は答えた。
「父が運ばれた記録が残っています。調べる必があるといます」
「ですよ。関係者の記憶も曖昧でしょう」
「記録を見てもらえば分かります」
「あなたは、うちの会社がを埋めたとでも言いたいんですか」
私はし考え、首を振った。
「まだ何も断定していません。だから調べてもらっているんです」
稲葉さんは唇を固く結んだ。
そのとき、母が歩にた。
「稲葉さん」
彼は母を見た。
「私は、お宅のおじいさんが修を棒だと言ったとき、何も言い返せませんでした」
母の声は静かだった。
「でも、今は違います。夫がどうなったかをりたいだけです。
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邪魔しないでください」
稲葉さんは何も言わず、作業員のほうへ戻った。
警察官たちは建物の裏へ向かった。
古い資材坑の周囲には、砂がく積もっていた。
表面のコンクリートは部ひび割れており、くには廃材がになっている。
私たちは敷ので待つように言われた。
午は何もまなかった。
昼すぎ、森岡さんが弁当を持ってきてくれた。
母は半分もべられなかった。
私は無理に勧めなかった。
午を過ぎたころ、現から連絡があり、作業がいったん断された。
その理由は、まだ教えてもらえなかった。
数、警察から改めて事を聞きたいと連絡が来た。
側資材坑の埋設部分を調べたところ、古い類や属製品が見つかったという。
そのには、国鉄の制に使われていたものと似た属ボタンもあった。
私は父の写真を持って警察署へった。
「本のものかどうかは、これから確認します」
担当者は慎に説した。
「ただ、当の事故記録と関係する能性があります。捜査をめます」
私はうなずいた。
父のものだと決めつけることはできない。
けれど、ようやく誰かが、の来事を正面から調べ始めてくれたのだ。
その週、な物が私を訪ねてきた。
代の男性で、名を坂野徳夫といった。
昭、稲葉建で現監督をしていただった。
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「聞を読みました」
坂野さんは、玄関先で子を取った。
「もう黙っていてはいけないといまして」
私は居へ案内した。
坂野さんは、古い封筒を通持っていた。
には、当夜の作業報と、きの図面があった。
「号の補修事は、確かに分でした。私が責任者でした」
坂野さんは、まっすぐ私を見た。
「私は、必な補材を全部入れないまま、事を終わらせました」
「どうしてですか」
「会社から期をくしろと言われていました。材料費も削るように指示された。私は危ないといながら従いました」
私は、父が写っている事現の写真を見せた。
「このとき、父は何と言っていたんですか」
坂野さんは写真を見つめた。
「杉原さんは、壁の裏まで補する必があると言っていました。私は『次の事で直す』と答えました」
「父はそれを信じたんですか」
「信じようとしたんでしょう。駅も、会社が責任を持つと言っていましたから」
坂野さんは続けた。
「ただ、ので、私たちの嘘は隠せなくなりました」
「父が運転を止めようとしたんですね」
「はい。駅は臨列をらせたかった。会社も資材を運びたかった。でも、杉原さんは危険だと言って譲らなかった」
「そのあと、父は怪をしました」
坂野さんの顔が曇った。
「私は事故のあと、採へ呼ばれました」
私はを乗りした。
「父を見たんですか」
「見ました」
「きていましたか」
「はい。医者が診ていました。杉原さんは識がはっきりせず、横になっていました」
「それから?」
坂野さんは封筒から枚のをした。
『昭 午分 佐川登』
崎医師の記録と同じ刻だった。
「このは、誰がいたんですか」
「私です。社に頼まれて、当直報に記入しました」
私は息を止めた。
「佐川登という名は、誰が決めたんですか」
「稲葉社です。本当の名を記録するなと言われました」
「なぜですか」
「駅の職員が、事現の事故でくなったことにしたくなかったんでしょう」
坂野さんはを震わせながら続けた。
「医者は、もっとく病院へ運ぶべきだったと言っていました。でも社は、がくて危険だと……」
「がくても、救急は呼べたはずです」
「そうです」
坂野さんはうなずいた。
「私は、そのことを悔しています」
私は次の質問をした。
「父の遺体は、どうなったんですか」
坂野さんは、いあいだ黙っていた。
そして、持参した図面を広げた。
「社は、夜がけるに運びせと言いました」
「どこへ?」
坂野さんは、側資材坑を指さした。
「ここです」
私は図面を見つめた。
「……父を、ここに?」
「はい」
坂野さんはくをげた。
「私は伝いました。申し訳ありません」
その言葉を聞いたとき、議と声がなかった。
何度も像した。
父は川でくなったのかもしれない。
くへ逃げたのかもしれない。
どこかで記憶を失って暮らしているのかもしれない。
けれど、父はずっとこの町にいたのだ。
私が子どものころ、何度も通ったの先に。
「どうして、族にらせてくれなかったんですか」
やっと、それだけ言えた。
坂野さんは涙を流した。
「怖かったんです。自分の仕事がなくなるのが。族まで責められるのが」
「父にも族がいました」
私は静かに言った。
「私と母がいました」
坂野さんは何度もうなずいた。
「そのとおりです」
私は図面を折り畳んだ。
これ以、ここで鳴っても、父は戻らない。
必なのは、このの話を正式に記録してもらうことだった。
「坂野さん。今のお話を、警察にもしてください」
彼はうなずいた。
「そのつもりで来ました」
私は弁護士と岸本記者に連絡した。
坂野さんの証言と図面を、警察へ提することになった。
そのの夜、母にすべてを話した。
母は黙って聞き、しばらく父の写真を見つめていた。
やがて、ぽつりと言った。
「修は、帰ろうとしていたのね」
「うん」
「なのに、帰れなかったのね」
私は母の隣に座った。
で泣いた。
声をさず、ただいあいだ泣いた。
翌朝、警察から話があった。
側資材坑で見つかった遺留品のに、父の元を示すものがあったという。
それは、さな属製の名札だった。
『杉原修』
私は、ようやく父の名を見つけた。
けれど、その名を取り戻すには、もうつ越えなければならない壁があった。
父を棒として記録したたちに、正式に事実を認めさせることだった。