みかん小説
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"四年分の介護記録" 第1話

凱旋の切符と胸の緑

成田空港の到着ロビーを抜け、迎えのハイヤーを横目に乗り込んだ個タクシーの内で、健は仕ての良いイタリア製スーツの袖をえた。歳。窓ガラスに映る己の輪郭は、の国よりも引き締まり、自信に満ちあふれている。

シンガポール支社でのにわたる駐員活は、まさに栄の連続だった。現の販売ネットワークを引に再編し、本社の取締役会をも唸らせる業績を叩きした。その柄を産に、今回の帰国では本社営業本部への昇が内定している。同期の誰よりもい役員コースへの到達だった。

男の成功には、それにふさわしい洗練された台が必だ。

健はスーツの内ポケットにそっと指先を差し入れた。指先に触れる、いの触。それは国直にに入れ、シンガポールの級コンドミニアムの庫でにわたり静かに眠らせていた、緑の枠線の用——自の署名と捺印をすでに済ませた婚届だった。

妻の由美とは結婚してになる。学をてすぐに見い同然で結ばれた当初は、元システムエンジニアらしく聡で控えめな女だった。しかし、息子の直が学をて独して以、由美は急速に所帯じみ、健の華やかな世の隣に並べるにはあまりにも見劣りするへと成りがっていた。

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決定な亀裂がじたのは、の晩のことだった。

当同居していた健の実母・静の物忘れが急速に悪化し、やがて夜の徘徊や失禁、妄といった度の認症の症状を見せ始めていた。連のように義母の奇に振り回され、やつれ果てた由美はある夜、帰宅した健の元にすがりついて泣いた。

『お願い、健さん……もう私では限界です。専の介護施設を探すか、せめて週末だけでもあなたがを貸してください。このままでは私、がおかしくなってしまいそう……』

その涙に、健は激しい苛ちと軽蔑しか覚えなかった。

『ふざけるな! 俺が毎どれほどの圧ので、誰のためにをにして稼いでいるとっているんだ! でぬくぬくと過ごしている専業主婦が、親の面倒つ見られないでどうする! 甘えるのも概にしろ!』

男はで国を論じ、莫なを稼いで族を養う。女は庭のをすべて引き受け、夫がで戦うためのを無言で守り抜く。それが健の信じる揺るぎない族の秩序だった。自分が汗垂らして稼いだでなに自由ない暮らしを享受しているくせに、実の親の介護程度で音を吐くなど、甘え以の何物でもない。

ちょうどその折、会社からシンガポール支社のて直しという特命駐の打診がい込んだ。

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庭内に漂う老特の排泄物の臭気、夜に響く狂った母の奇声、そして妻の気なため息——それらすべてから法に逃避できる、の助けのような好だった。健はつ返事で受諾した。発の夜、荷造りをしながら由美にたく言い放った言葉を今でも覚えている。

『会社の命令だから仕方ない。母さんのことはおに任せたぞ。プロの主婦としてのを見せてみろ』

それからのの活は、極楽そのものだった。

マリーナベイを見ろす層マンション、専属のメイド、休は名コースでのゴルフ昧、夜は現採用の若い女性スタッフを連れ歩いての級ディナー。由美からの連絡は、毎に活費万円を振り込んだ直に届く、たったの定型メールだけだった。

『活費の振込を確認いたしました。お義母さんも変わりありません。お仕事頑張ってください』

話をかける必も、苦しい現実を聞かされることもない。さえ毎きちんと送っていれば、女など文句を言わずに畜のように働くのだ。健はそう確信し、煩わしい本の庭を完全に記憶の彼方へ追いやっていた。

「お客さん、着きましたよ」

運転の声で識が引き戻された。閑静な宅の角。築になる階建ての邸宅が、々の隙から姿を現していた。

壁は驚くほどく磨きげられ、庭の松の枝ぶりも職のが入ったように美しくっている。

「ふん、案、気楽に暮らしを満喫していたんじゃないか」

健は笑を浮かべ、スーツケースを引きずりながら玄関の階段をがった。

鍵を差し込み、ドアをける。

「おい、帰ったぞ」

声を張りげたが、返事はない。ただ、微かな檀の線のりが、静まり返った廊の奥から静かに漂ってきた。

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