"昭和54年、消えた母の集金袋" 第1話
「母さんが持って逃げた額、今もくの?」
平成の、町内会の古い帳簿を理していた宮直子は、弟の修司が差しした枚のを見た。《昭度・商共同積、未回収額万千円》。備考欄には、集係だった母の名が、くなった鉛のまま残っていた。宮澄。直子が学だった、夕方の商を歩いて以来、へ戻らなかっただ。
同じ、駅の商にも変化があった。古いアーケードの根を取り替えることになり、個々のがそれまで抱えていた類を町内会館へ移す。直子は図館で資料理をしており、商会になった修司から伝いを頼まれた。父の正は昨にくなった。彼がの階へしまった段ボールまで、今ならけられる気がした。
直子たちのは、京都部のさな町で文具を営んでいた。昭、駅にはまだ切符を鋏で切る駅員がおり、アーケードのれに公衆話が台並んでいた。澄はを伝う傍ら、商会で積みてていた根の補修費をに度集めた。が午に窓を閉めるため、夕方に集めたはのさな耐庫へ入れ、翌朝、信用庫へ持ってく。それが数続いた習慣だった。
失踪した、澄は通りのを回り、にまでに帰ると言った。
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台所では翌朝の噌汁用の根が切られ、直子の修学旅費を入れる封筒には付と学名がいてあった。を過ぎても戻らず、正が駅まで探しにった。翌朝、アーケード裏のごみ置きで澄の紺の買い物袋が見つかった。には集帳と、見覚えのない旅案内。の入っていた封筒だけがなかった。
くの旅館の女性と緒に、の晩、澄が宿きの終へ乗ったのを見たというがいた。正は警察へ届けたものの、商会には集額をて替えた。父の親戚は「男のところへったんだ」と囁き、隣の豆腐の妻は「借があったんじゃないか」と言った。澄が自分のでったのか、何かに巻き込まれたのか、はっきりした記録はない。直子と修司は母のいない暮らしを続け、町は噂のほうを事実として残した。
「この数字、父さんが全部払ったのに」
修司は帳簿を睨んだ。直子は万千円のに記された入を確かめた。澄が消えた翌ではなく、週に正が分けにして支払っている。度に払える現はなかったのだろう。、父が払ったはに説できても、母がなぜ消えたかは説できないままだった。
箱の底から細い封筒がた。表には《桜湯 分》とある。は古い千円札枚と、の集用。
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用には朱の印で《入済》と押されているが、欄に別の跡で《この千円は戻すこと》といてあった。母の字ではない。集帳には桜湯からの入がまるごと記され、返の記録はない。
直子が札を灯りへ透かすと、端に極の青い丸があった。文具で扱っていた伝票用の複写のに似ている。を持ちるが、たった千円をわざわざ別に包み、《戻すこと》とく理由は何だろう。封筒の裏には、昭の消印がある。母が消えた付だったが、投函刻までは分からなかった。
桜湯は営業をやめてになる。簾のあった入はシャッターで塞がれ、番台を守っていた田枝は駅の向こうの団にんでいた。直子が訪ねると、枝はまず千円札のを確かめた。旧札をに持つと、失踪の夜のことをいしたように元を結んだ。
「それ、うちがお釣りで渡した札じゃない。あなたのお母さんが持ってきたの。違いだから取っておいて、翌の集と緒に返してくれって」
澄はその、桜湯の積を受け取りに来た。番台の台帳では万千円、澄の集用では万千円。以のの繰越額の扱いが違うらしく、枝は支払いのに通帳を探した。澄は「いま預かるとわなくなる」と言い、差額の千円を別封筒にした。
翌もう度確かめるつもりだったという。