"4時20分で止まった遺品" 第1話
線の煙が、細く、頼りなげにちのぼっていた。 く濁った筋の煙は、苦しい静けさが支配する内の空気のをまっすぐに井へと向かい、蛍灯の青いに照らされながら、横に流れるようにして輪郭を失い、やがて消えていった。
焼台の皿のには、まだ燃え尽きていない線が半分ほど残っている。のに落ちたさな種が、かすかに赤いを滅させていた。仏壇の脇、の瓶には数輪のい菊のが供えられていたが、祭壇の央に置かれた遺のガラスに蛍灯のが鋭く反射し、そこに映る父・武田松蔵の目の表を確かめることはできなかった。
座敷の座に、武田浩司は正座していた。 両はぴたりと膝のに置かれ、握られることもなくただ静かにねられている。そのの甲には、まだあの染み付いた消毒薬と湿布の匂いがわずかに残っていた。まで、こので父の痩せ細った背を温かいタオルで拭き、さなスプーンで薬を元へ運び、夜に汗で濡れた寝巻きを何度も着替えさせていた。、途切れることなく続いてきたの記憶が、皮膚の奥にまだ濃く刻み込まれていた。
黒いスーツを着た弁護士が、畳のに置いた革鞄のジッパーを、キリキリと属音をてて最まで閉めた。
広告
彼は元の分い類の束をえ終えると、膝を正し、い、抑揚のない声で最の文面を読みげた。
「……戸建てのならびに敷、田畑、預の全額、および常用乗用台は、男である武田裕にこれを相続させる」
弁護士の声が止まった瞬、座の座布団に座っていた義姉・美咲の角が、隠しようもなくつりがった。彼女は細くえられた眉をわずかに緩め、満げにからさく息を漏らすと、隣に座る夫の裕の腕を肘で突いた。
男の武田裕は、あぐらをかいた膝のでだらしなくを組み、すでに自分のものとなった豪勢なの柱や井を、品定めするように見回していた。その顔には、病に伏していた父親を取った者としての疲労や悼のは微もなく、に入れた莫な資産の計算に没するたいだけが宿っていた。
、仕事を辞めて付きっきりで父の排泄の世話から事、入浴介助までを担い続けてきた次男の浩司に残されたのは、ただの文言だけだった。
――町の郊にある古い倉庫棟とその敷。 ――そして、故がに常用していた腕計点。
座敷の隅に置かれたローテーブルの端に、その腕計が無造作に転がされていた。 かつて父が創業したさな町「松原精密」の創にに入れたという、以の古い械式腕計だった。
広告
革のベルトは経劣化で黒ずみ、あちこちにひび割れがっていた。防の丸いガラスには斜めに本の細い傷が入り、文字盤の数字もところどころ掠れている。
裕はちがることすら面倒そうにを伸ばすと、親指と差し指でその埃まみれの計をつまみげた。
「遺言にかれたガラクタも、ちゃんと持っていきなさいよ」
裕は笑いを浮かべ、首を無造作にスナップさせて、計を浩司の元へとポイと投げ捨てた。
カチリ、と質な音が畳ので鳴り、計は度ほどさく回転して、浩司が履いていた黒い革靴のつま先のすぐで止まった。
浩司は瞬きをつしただけで、声もげず、表も変えなかった。 ただゆっくりと腰をかがめ、に落ちた計へとを伸ばした。拾いげた計の防についた埃を、のひらで度だけ優しく拭う。え切った属の裏蓋の触を確かめると、それを何も言わずに自分のズボンのポケットくに滑り込ませた。
その作が終わるのを見計らったように、美咲が勢いよくちがった。 音をてて浩司の正面へと歩み寄り、ったまま、く入れされたののひらをに向けて突きした。
「鍵を」
浩司の隣で同じように正座していた妻の苗が、驚いたように顔をげた。
「何の鍵ですか?」
「このの鍵よ」
美咲は、苗の問いかけを嘲笑うように度だけ居の奥を睨みつけ、それから再びえ切った目を浩司に向けた。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
「もう戻るな」と言った息子へ
嫁・沙耶の涙を信じた息子に「性格の悪い母親」と罵られ、家を追い出された68歳の良子。さらに町中へ“嫁いびり”の噂まで広められてしまう。 だが、親友が録音した証拠から、すべては家と財産を奪うための罠だったと判明。しかも良子には、亡き夫が遺した5億円の土地があった。真実を知った息子夫婦が青ざめた時、母の人生は大逆転する――。親子関係|金銭問題1.7萬字5 8 -
完結第13話
不在着信93件の朝
息子夫婦の豪邸ローンを、5年間毎月24万円も肩代わりしてきたみつ子と正人。だが返ってきたのは感謝ではなく、「黙って金だけ払え」という侮辱だった。 ついに二人は支援を完全停止。翌朝、スマホには93件もの着信が――。親をATM扱いした息子夫婦に、想像もしなかった代償が襲いかかる。夫婦|親子関係2.0萬字5 19 -
完結第18話
四十九日の注文票
夫の四十九日を終えた夜、59歳の円香は、息子夫婦から突然「明日の朝までに店の鍵を渡してほしい」と告げられる。 夫と32年間守ってきた惣菜店《おかず処まどか》。しかし土地と建物は、知らないうちに息子の名義へ移され、すでに再開発のため売却されようとしていた。 悲しみも癒えないまま、住む場所も店も奪われかける円香。さらに夫が管理していた店の預金も、借金返済に使われたと聞かされる。 そんな夜、夫の机の奥から見つかったのは、古い注文票だった。 《弁当120食。毎月第2土曜日。代金は受け取らないこと》 そこに書かれていたのは、円香の知らない女性の名前。 夫はなぜ、妻に黙って無料の弁当を届けていたのか。 なぜ、その女性を「店を失った時に訪ねろ」と書き残したのか。 追い出されたはずの店の裏で、夫が最後まで隠していた過去と、息子夫婦の本当の目的が少しずつ明らかになっていく――。人生逆転|親子関係2.8萬字5 66 -
完結第10話
父の葬儀の日_夫は愛人を車に乗せて去った
48歳の由美は、3年間ほぼ1人で父を介護し、78歳の父を見送った。ところが葬儀の帰り、20年連れ添った夫・浩司は、愛人と思われる女性を助手席に乗せたまま、喪服姿の由美を雨の駅前で車から降ろす。「俺だって1日付き合って疲れてるんだ」。由美は泣かず、父が亡くなる2日前に渡してくれた古い革鞄を開いた。中にあったのは、1通の手紙、弁護士の名刺、そして夫の会社に関する資料。手紙の最初には、「浩司君に、私の通帳も印鑑も渡してはいけない」と書かれていた。なぜ父は、娘の夫をそこまで警戒していたのか。由美は父が最後に残した手がかりを追い始める。夫婦|親不孝|金銭問題|修羅場|不倫1.5萬字5 513 -
完結第13話
0円の注文帳
母の死後、55歳の直子は、43年間続いた弁当屋「こもれび弁当」を片づけるため、久しぶりに実家へ戻った。 店の奥から見つかったのは、母が残した古い注文帳。そこには、直子が20歳の誕生日に母を嫌いになった夜の記録が残されていた。 《6号棟504 2食 0円》 《白いタオル》 《直子には言わない》 あの日、母は誕生日の食卓を途中で抜け出し、急ぎの配達へ行った。直子はずっと、母が自分より店の客を選んだのだと思っていた。 しかし30年後、注文帳に残された「0円」の意味を追ううちに、直子は知らなかった母の顔、父が隠した事実、そして自分が娘に繰り返しかけていた言葉の重さに気づいていく。 母は本当に、娘の夢を奪った人だったのか。 古い弁当屋に残された一冊の帳面が、30年間止まっていた母娘の時間を静かに動かし始める。金銭問題|修羅場1.9萬字5 706 -
完結第13話
消された母の名前
父の三回忌を終えた夜、53歳の里美は、認知症の兆しがある母・清子から、突然知らない名前で呼ばれる。 「直子、今度こそ逃げないで」 直子とは誰なのか。なぜ母は、娘である自分を妹の名で呼んだのか。 不審に思った里美が戸籍や父の遺した書類を調べ始めると、自分の出生届に残された不自然な訂正、20年以上続いていた謎の送金、そして施設で暮らす一人の女性の存在が浮かび上がる。 母が53年間守り続けたものは、愛だったのか、嘘だったのか。 隠された12通の手紙と、海辺の古い写真が、里美の知らなかった「本当の家族」を少しずつ明らかにしていく――。人生逆転|第二の人生|親子関係2.0萬字5 158 -
完結第29話
車に私の席はなかった
正月十日の夕方。 68歳の小林はる子は、家族で焼肉へ行くため玄関に立っていた。 しかし息子・直哉は冷たく言った。 「母さん、車に乗れないから来なくていい」 四人を見送った夜、一本の電話が入る。 「はる子さん、寝たきりだって聞いていたけど……」 親戚には“認知症で入院中”と説明され、役所には要介護認定まで申請されていた。 さらに書類には―― 「認定が下り次第、田舎のマンションを売却」 翌朝には施設の迎え。 出発前に通帳と実印を探すという予定まで残されていた。 しかも、家の頭金として渡した1200万円は住宅購入に一円も使われず、嫁・絵理の父が経営する会社へ流れていた。 なぜ家族は、はる子を“認知症”に仕立てようとしたのか。 車にも、食卓にも席を与えられなかった母が、自分の人生を取り戻すため静かに反撃を始める――。親子関係4.3萬字5 712 -
完結第8話
孫の一言で、三億円の家を売りました
72歳の和子は、7歳の孫が配達員に「お金を払ってるんだから、ありがとうって言わなくてもいい」と言うのを聞き、言葉を失った。さらに48歳の息子・健一まで「間違ってない」と笑う。健一一家が12年間家賃0円で暮らしている一戸建ては、和子が1億4800万円で購入した和子名義の家。今では査定額が約3億円になっていた。ところが健一は、その家を当然のように「自分の家」と呼び、「どうせ将来俺が相続するんだから、名義を変えてもいいだろ」と言い始める。息子の言葉を聞いた夜、和子は1人で不動産会社に電話をかけた。12年間「家族だから」と与え続けてきた母親が、初めて大きな決断を下そうとしていた。因果応報|親不孝|親子関係|金銭問題1.2萬字5 553